本読み、音楽、アニメ、ゲームなど……じぶんのためのメモ的なものを、気まぐれに載せています。

2014年12月31日水曜日

2014年、ありがとうございました

23:33 Posted by どぼん 2 comments
今年も残り1時間を切りました。
最近はなかなか更新・読書の時間がとれていませんでしたが、2月ごろには更新を再開します。

今年は、昨年以上に自分向けの下らないメモを書いていました。読んだ本を思い出すと、色々なジャンルを行き当たりばったりで読んだなあと感じます。

打ち込みではあまり多くの作品を残すことができませんでしたが、リストの「パガニーニの主題による超絶技巧練習曲の”ラ・カンパネラ”」、ショパンの「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」「英雄ポロネーズ」「ノクターン作品9-2」、シマノフスキの「マズルカ」などを打ち込みました。これらも完成したとは思っていませんが、来年も打ち込みたい作品がたくさんあります。

またネット上では、ガットメールの閉鎖、クレオフーガのリニューアルといった大きな変化もありました。リアルでも変化が続いているので、その辺は戸惑う一年でもありました。来年もそうなりそうですが……

ぜひ来年もよろしくお願い致します。
悲しみも、喜びも、大切な心の糧として。新しい一年が充実した一年になりますように。

2014年12月23日火曜日

打ち込み日記「前奏曲 変ホ短調」

0:00 Posted by どぼん 6 comments


ボツ三昧の日々でしたが、久しぶりに自作品をつくってみました。
若干リバーブを効かせただけなので、聴きづらいかもしれません(^^;)

12月22日に、音楽をつくる人たちが集まるサイト「クレオフーガ」が全面リニューアルされたので、今回クレオフーガのプレイヤーをためしに導入してみました。

Score : https://drive.google.com/file/d/0B0EMJRDEZv8fUGJaeDdhMUtmZzQ/view?usp=sharing (pdf)

2014年12月16日火曜日

(メモ)ブックフィルム

2:37 Posted by どぼん , 8 comments
ロールタイプのブックコートフィルムの価格についてのメモです。ブックフィルムとも呼ばれますが、これは本を保護するために表紙に貼るフィルムで、図書館でよくみかけます。

なんといってもブックフィルムの魅力は、透明なのでどの本かすぐに判別できること、そしてぴったり貼りつけるので透明カバーと比べて手になじむこと、また好きな表紙が光沢を纏うことでいっそう映えることなどが挙げられると思います。

ぼく自身は本をたくさん買って所蔵するような読書人ではありませんが、購入した数少ない本のうち、新品で購入した保存したい本に対してはフィルムを貼ることにしました。貼り方もいろいろ考えられます。たとえば四隅の処理は、カットするよりも折り込むことで対応できればその方が見た目もよさそうですが、フィルムを重ねて折り込むぶん隙間ができやすいので、ぼくのような初心者がやると悲惨なことにもなりかねません。なかなか試行錯誤のしがいがあります。

表:A5判フィルムの価格目安

社名埼玉福祉会クリーンフィルムルックスキハラ
商品名ブックコートフィルムESクリーンフィルムフィルムルックス 609アメニティB-コートR
寸法25cm×25m巻き(*1)25cm×25m巻き25cm×25m巻き25cm×25m巻き
販売価格3,348 円(税込)2,400 円(税込)7,300 円(税別)3,400 円(税別)

注:
*) 価格などの表記は記事投稿時(2014年12月)時点でのものです。
*1) 25cm×25m巻きで、コミック単行本およそ65冊分に相当します。

参考サイト:
4月例会報告「華麗なるブックカバーかけの世界」 - しなのがくとブログ:http://shinanogakuto.blog4.fc2.com/blog-entry-5.html

参照:
埼玉福祉会:http://bookcover.jp/
クリーン:http://clin.co.jp/
フィルムルックス:http://www.filmolux.co.jp/ より価格表(pdf)
キハラ:https://www.kihara-lib.co.jp/

2014年12月12日金曜日

メモ - カフェ「グリーンシュタイドル」

21:44 Posted by どぼん , 4 comments
カフェでおこなわれていた文学的な交流の一例として、「グリーンシュタイドル」のお話を少しだけメモしたいと思います。このカフェは1847年に生まれましたが、ウィーンが「大都会になるため」として1897年に取り壊されてしまったそうです。

グリーンシュタイドル

音楽家として知られるクライスラーは、あるときフーゴ・ヴォルフとともに「グリーンシュタイドル」というカフェに腰を下ろしていました。

そのカフェの別の席には、こんにちオペレッタ「オペラの舞踏会」で知られる(ぼくは知りませんでしたが汗)ホイベルガーが、まさにそのオペレッタの曲をつくろうとして悩んでいました。オペラの監督から「ワルツにしてくれ」と頼まれていた「さあいま、ぼくといっしょに別室へ行こう」というテクスト(詩の一節)がワルツのリズムに合わないようなのです。

そこでホイベルガーは、その場にいたフーゴ・ヴォルフに助けを求めます。ヴォルフはその悩みをさらにホーフマンスタールに委ね、ホーフマンスタールは、そのテクストを「ぼくといっしょに別室へ行こう」というように縮めました。

さらにクライスラーは、できあがったテクストに、この歌曲の冒頭数小節を書きました。
ホイベルガーは、手助けをしてくれた彼らに、モカをおごり、大変感謝したといいます。

(クラウス・ティーレ=ドールマン「ヨーロッパのカフェ文化」, pp. 128-129. を勝手に要約)


ホイベルガーのオペレッタ「オペラの舞踏会」より第3幕「別室にて」

2014年11月13日木曜日

「基準値のからくり」「先生!」

1:10 Posted by どぼん , 3 comments

10/23 : 村上道夫ら「基準値のからくり」

◆知らないところで人びとの生活を支えている「基準値」。近年の報道をはじめ、それは安全性を科学的に保証する値だと考えられてきました。ところが実際には、それは基準値のひとつの側面でしかないようです。基準を決める段階で、社会や文化、政治や経済といったさまざまな要因から妥協が重ねられていることもあれば、基準値を用いる段階で、まったく別の目的でつくられた基準値が、なぜか安全の尺度として用いられてしまうこともあるのです。そのことが、じつは基準値にまつわる不思議な疑問、ときには過剰な反応を生み出しているのです。基準値の不思議な現実を垣間見せてくれる本です。(引用はまた後日)

「基準値の謎」の例

●各メーカーで違うはずの食品の賞味期限、なぜどれも「横並び」になるのか?
●同じ農薬、同じ残留量なのに、なぜ「リンゴは安全」で「キクラゲは危険」なのか?
●「避難と除染」の安全すぎる基準値と運用、これでは「福島に帰るな」と言っているようなもの!

これらの謎の答えを知れば、「そんな決め方でいいの?」と何度も驚き、絶句することでしょう。〔基準値に〕一喜一憂する前に、ぜひご一読ください。
『基準値のからくり』(村上道夫, 永井孝志, 小野恭子, 岸本充生):ブルーバックス|講談社BOOK倶楽部から適宜抜粋)

10/21 : 池上彰編「先生!」

◆分野も考え方も違う様々な大人たちが「先生」をテーマにしてさまざまなことを書いています。もちろん先生といっても、その存在は人によってそれぞれ異なります。「元生徒」として素晴らしい先生との思い出を書く人もいれば、反対に、嫌な大人として先生を描いている人もいますし、教える側として、みずからの体験や信念を書いている人もいます。ぼく自身が惹きつけられたのは2点、一つ目は「80歳を超えた中学生」。卒業式を迎え、80歳を超えた生徒を見送る先生の姿に思いを馳せてしまうのでした。そしてもう一つは、「とらわれちゃだめだ」。夏目漱石の「三四郎」を引用しています。一国の成長をだれもが疑わないさなかで、「滅びるね」と突きつける。その視点を持つことへの驚きと、突きつけられた衝撃を想像して、二重の驚きを感じました。

◆その内容自体を楽しむことはもちろん、この本からそれぞれの筆者の著書に関心を持つのもよし、あるいは、「これは無理やり”先生!”をぶち込んだな」などとひねくれた楽しい読み方をするのもよいかもしれません。(引用はまた後日)
著者 :
岩波書店
発売日 : 2013-07-20

2014年11月12日水曜日

バラを中心に - テスト

19:39 Posted by どぼん 4 comments
新宿御苑でバラが咲いていました。

趣味で撮った写真を載せてみます。(画像などを表示するプラグインMagnificPopupなどの調整も兼ねているので、ときどき――閲覧数的にもタイミング的にもまずないと思いますが――見た目がおかしくなるかもしれません……)

ラ・パロマ


マーガレット・メリル


ピンク・フレンチレース


ピュア・ポエトリー


チンチン


サリー・ホームズ




アンブリッジ・ローズ






ハナキリン


ベニゲンペイカズラ


ウラムラサキ


イエライシャン




2014年10月18日土曜日

打ち込み日記「青葉の歌」

0:37 Posted by どぼん , 4 comments
合唱曲「青葉の歌」をニコニコ動画に投稿してみました。

無料の素晴らしい音声合成ソフト「CeVIO Creative Studio FREE(さとうささら)」と、ニコニコ動画で、コメントでご紹介いただいたVocalShifterを使ってみました。いわゆるボーカロイドですね(正確には別種らしいのでややこしいですね^^;)。

楽曲について

この歌は女声2パート(ソプラノ、アルト)と男声の混声三部からなる合唱曲で、中学校でよく歌われる曲の一つです。

大人になろうとしている彼らに、世界中をつなぐ愛の心を自分の手でつかみ、輝いてほしいと訴えかけています。そこには、彼らの声が世界中の手を固く結ぶのだという、未来への希望が込められている気がします。

(素人なりに)少し考えた部分はいくつかありますが、とりわけ大切だと思うのは「きっと、きっと、やってくる(もっと、もっと、固く結ぶ) きらめけ青葉よ」の部分です。「きっと、きっと、やってくる」はいったん弱くしてから迫るように強くしてゆきます。「きらめ」の3つの音にはテヌート(音を保って)の記号がついていますが、ここで音を溜めすぎるとエネルギーが滞ってしまうのでほどほどにしたほうがよいのではないかと思っています。エネルギーが滞らないぎりぎりまで溜める感じで。「青葉よ」の部分は、アルト(女声の低い方)が「青葉よ、青葉よ」と2回呼びかけるので、2回目はもっと訴えかけるように、すこし強めてからのデクレシェンド。

しかし、冒頭のアルトの「ラー(F-Ges)」、なんだこりゃ(^^;)

2014年10月11日土曜日

「ダメ出しの力」

21:19 Posted by どぼん , , 4 comments

10/09 : 繁桝江里「ダメ出しの力」

 ダメ出しをする側もされる側も、できるだけネガティブな感情を排除したいものです。「ダメ出し」マイナス「ネガティブ感情」イコール「イイ効果」という式が成立することを目指してください。そのためには、とにかく時間を置くことが大切です (p. 211)
◆「ダメ出し」の力を、コミュニケーションというさらに広い射程のなかで見直し、それをうまく活用するためにはどうすればよいのかを考える糸口を与えてくれる、いわば”応用するための本”です。ダメ出しは悪いことなのでしょうか。そうではないとしたら、ダメ出しは相手にどのような影響を与えるのでしょうか。そして、どのようにダメ出しをすればよいのでしょうか。社会心理学など学術的な研究に基づく興味深い知見とともに、「ダメ出し」というコミュニケーションについて考えてゆくこの本には、ハウツー本とは明らかに違う面白さがあります。

定義:ニュートラルな「ダメ出し」

本書での「ダメ出し」の定義……相手に否定的な評価を返す(=悪いところを指摘する)こと。ネガティブ・フィードバック (p. 6)。反対に、良いところを指摘するのは「イイ出し」としている
→ この本書でいう「ダメ出し」は、「叱る」などとは違って、感情的ではないニュートラルな指摘というニュアンス

上司から部下に対する懲罰と報酬の関係 (p. 40)

即応的報酬(その場の状況に応じて褒めるなどの報酬) → よい影響
非即応的報酬(たとえば、仕事が良くても悪くても褒める) → 悪い影響(&よい影響弱)
即応的懲罰(その場の状況に応じてダメ出し) → よい影響・悪い影響
→非即応的報酬は、役割の不明確化や、仕事に対する満足度の低下などを招きうる。即応的懲罰は、個人レベルとして悪影響ではあるが、組織レベルとしてパフォーマンスを向上させる効果がみられる。非即応的懲罰は最悪。
◆ダメ出しの部下への影響は、部下の自由度や責任感で異なる。「自由度:高、責任:大」では、ダメ出しと成長感のあいだに関連がみられるが、「自由度:低、責任:大」の場合はみられない。「自由度:低、責任:小」のルーティン型ワークでは、さらにイイ出し(プラス評価)の効果もみられない。

適当メモ

◆失敗学習動機が弱い場合など、イイ出し(褒める、改善策の提示)によってかえってネガティブ感情を強めてしまうことがある(”余計なお世話だ!”という反発がありうる)
◆夫婦関係ではお互いにダメ出しをする・されると思っている。

→ この本の「ダメ出し」はモラルなどに対するニュートラルな指摘だからかもしれない。これが家事の分担や日常生活の話になったら、話は別かもしれない。

◆「自分はダメ出しをしない・相手もしないだろうという予想が正解」という組み合わせは、相手との関係で自分が成長できている(自己成長化関係にある)という評価が低い

◆夫婦間では「自分:相手は嫌な思いをしないだろう(予想)、相手:嫌な思いをする」という食い違いが比較的多いのに対し、よく話す人(他人)の場合は、「自分:相手は嫌な思いをしないだろう、相手:嫌な思いをしない」という正解が多い (p. 190, 図4-5)

→ 他人だと言いかたに配慮をするから?

2014年10月5日日曜日

「味」

15:02 Posted by どぼん , 4 comments

10/05 : 秋山徳蔵「味」

 ところが、ほんとうに良人を愛している女房は、たとえ料理は下手でも、どうしたらおいしく食べて頂こうか、これでは食べにくいからこうしておこう、汁が浸み出して手でも汚してはいけないから、紙を一枚入れておこう――そういった深い心遣いをしながら弁当をつくる。これが良人の心に響かぬはずがない。このように、料理をつくる心は、世の中のすべてに通ずると、私は信じている。 (pp. 196-197)
◆宮内庁(宮内省)の総料理長として、50年以上にわたって天皇に料理を作り続けた筆者 (1888-1974)の随筆。少年時代のいたずら、料理修行、仕事に対する考え方、食に対するこだわり、宮中のしきたり、皇族や諸国の王族に関する逸話、友人や妻との思い出、どれも興味深い逸話ばかりです。職人としての矜持を感じさせながら嫌味を全く帯びないのは、そこに筆者という人間がみえてくるからなのだと思います。それは筆者が終始語っている、”料理などに大切なのは、まず人間であり心なのだ”という考えをそのまま文章で再現しているような、不思議な魅力があります。読みものとしてはもちろん、食が好きな人や皇族の方々の人となりに関心のある人、色々な人におすすめしたい一冊です。

◆まず綺麗な装丁が気に入りました。裏を返すと筆者の素敵な笑顔。モノをもたない僕は、「本を買いたい」と思うことがほとんどないのですが、この本はなぜかとても気に入りました。以下、気になった逸話やらのメモ。

七分づきに丸麦

昭和2, 3年に静岡の茶園へ行幸された際の話だそうです。陛下はそれに付き従った高官たちと陪食をおこないました。高官たちの食事は、折三段重の立派なものでしたが、陛下の食事は黒い握り飯のみ。それをみた高官が、「黒い握り飯は上等のもので、白いのが普通の握り飯なのだろう」とおもって黒い握り飯を食べてみると、じつにまずい。それをよくみると、七分づき程度の米に丸麦が半分ほど入れてあったのです。それが陛下の常食だと知り唖然としている一同に、陛下はこうおっしゃったそうです。「従医から聞いたのであるが、米の七分づきに麦を混ぜた飯は、衛生上たいへんよろしいそうである。食べつけてみると、味も白米飯よりもよろしいので、私はこれを常食にしている。しかし、私の好物だからといって、諸子に強制する気持はない。それで、半分だけ白米飯を加えて、これは参考までに添えたものである (p. 85)」。

筆者曰く「そのへんにいるつまらぬ役人どもや、政治家のほうが、ずっと非民主的である (p. 83)」ということであり、それを説話のように物語っている逸話だと思います。

スープ鍋をぶちまける

西洋修行中、筆者はシェフに「スープ鍋をストーブの上に持ち上げろ」といわれたそうです。その鍋は一人では到底持ち上げられないので、筆者は当然「できない」と答える。シェフと押し問答が続く。仕方なく筆者は「どうしても持ち上げろというんですか」と聞くと、シェフも意地になって「ウイ」という。厨房の中で、店主を含めた全員がこちらを見ている。そこで筆者は、鍋の把手に手をかけて、勢いよくスープをぶちまけた。そして、空になった鍋をストーブの上へドカンと乗せた。(pp. 42-46)

またあるときは、果物を切って出すという習慣が宮中になかったため、「果物を切って出すものではない」と文句を言われたことがあったそうです。それにグッときた筆者は「そうですか。じゃア、メロンも、西瓜も、丸ごと出しますから、そうお考えになっといてください」と返したそうです。(p. 100)

いずれも筆者が若かったころ(=血の気が多かったころ)の話だと思いますが、口でやり返すこの反撃の仕方が面白いですね。



宮中言葉

現代ことば御所ことば
=うちまき
=およね
御供米=おくま
飯(お上の御料)=ごぜん
飯(女官の料)=おばん
飯(自分の飯のこと)=はん
乾飯=ほもじ
赤飯=こわご、こわくご
かやく御飯にだしのつゆをかけたもの=ふきよせ
二度たきの飯=おふたたき
=おゆに
焦飯の粥=おゆのした
そばの粥=うすずみ
=おかちん
餅に餡をまぶしたもの=おべたべた
お汁粉=おすすり
菱葩(ひしはなびら)=御焼がちん
円形の餅片に少しの砂糖なしの小豆餡を盛ったもの=小戴(こいただき)
元旦に召しあがるお雑煮の一種=烹雑(ぼうぞう)
朝召し上がる餅=おあさのもの
菱餅=おひし、ひしがちん
かき餅=おかき、かきがちん
豆入りあられ=いりいり
そば=そもじ
冷麦=ひやぞろ
そうめん=ぞろ、ぞろぞろ
=おすもじ
萩餅=やわやわ
まんじゅう=おまん
せんべい=おせん
団子=おいしいし
ちまき=まき
白玉=うきうき
麦こがし=ちりちり、ちりのこ
さつまいも=きいも
小芋=ややいも
=おひや
=おさゆ
=ささ、おっこん、くこん
白酒=ささ、ねりおっこん、ねりくこん
雉酒=おきじ
甘酒=あまおっこん
=しろもの
味噌=むし、おむし
醤油=おしたじ
すまし汁=おつゆ
味噌汁=おむしのおつゆ、おみおつけ
漬物=おこうこ
菜の漬物=おくもじ
たくあん=こうもふり
すぐき=すいくもじ
副食物=おまわり
焼きものの総称=ひどりのもの
和物=おあえのもの
磨糠(すりぬか)=わりふね
納豆=いと
こんにゃく=にゃく
豆腐=かべしろもの、かべ、おかべ
焼豆腐=やきおかべ
揚豆腐=あげおかべ
小豆=あか
=あおもの
乾菜=のきしのぶ
ちさ=おはびろ
大根=からもの
牛蒡=ごん
南瓜=おかぼ
=ねもじ、ねぶか、ひともじ
にら=ふたもじ
にんにく=にもじ
たけのこ=たけ
たけのこ飯=たけのおばん
松茸=まつ
松茸飯=まつのおばん
つくし=つく
わらび=わら
かりん=あんら
=おまな
=おひら
甘鯛=ぐじ
鰹節=おかか
いわし=おむら、おほそ
=あかおまな
えび=えもじ
たら=ゆき
はも=ながおまな
かます=くちほそ
かざめ=かざ
えそ=しらなみ
たこ=たもじ
さば=さもじ
にしん=ゆかり
かずのこ=かずかず
うなぎ=う
ふな=やまぶき
こい=こもじ
いか=いもじ
するめ=するする
このわた=こうばい
いりこ=りょうりょう
ごまめ=たづくり
ちりめんざこ=ややとと、じゃも
長熨斗=おなが
かまぼこ=おいた
なます=おなま、おはま
=くろおとり
=しろおとり
深い茶碗=しゅんかん
深い皿=おふかど
=おみはし
陛下のお品物(食品も含む)=大清(おおぎよ)
臣下の料=中清
いかき笊=せきもり
食物を細かく刻むこと=はやす
食物を切ること=なおす
漬物を切ること=わたす
物を焼くこと=ひどる
煮ること=したためる
洗うこと=すます
器物を洗うこと=おすすぎ
おから=うのはな

2014年10月2日木曜日

「ブラウン神父の無心」

18:25 Posted by どぼん , 4 comments

09/30 : G. K. チェスタトン「ブラウン神父の無心」

ジョン・ターンブル・アンガスは店のお嬢さんのところへ戻ったが、このあつかましい青年は、彼女と何とか楽しくやって行くだろう。しかし、ブラウン神父は星空の下で、雪の降り積もった丘を殺人犯と一緒に何時間も歩きまわった。二人が何を話し合ったかは、知るよしもない (「透明人間」, p. 161)
ブラウン神父はこの間に家に入り、死んだ男の妻に報せを伝えに行った。ふたたび外に出てきた時、神父は少し蒼ざめて、悲愴な顔をしていた。しかし、夫人との間にどんなやりとりがあったのかは、すべてが明らかになったあとも、明かされることはなかった (「間違った形」, p. 210)
人殺しにそういう光明を見つけるのが、私の仕事でしてね。それでは村へ下りて行って、風のように自由にご自分の道を進みなさい。わたしから言うことは、何もありません (「神の鉄槌」, p. 279)

◆この本は、創元推理文庫から1982年に出版された「ブラウン神父の童心http://booklog.jp/item/1/4488110010)」の新訳です。その出で立ちは無垢な子どものように、誰にでもすぐに騙されてしまいそうなブラウン神父。ところが神父は、鋭い観察眼と推理によって次々と難事件を解決してゆきます。なぜ無垢な神父が、世界中に名をとどろかせる大犯罪者をも出し抜く悪知恵をもっているのか。ブラウン神父シリーズ第一作にして、面白い傑作ぞろいだと思います。 

◆ぼくがブラウン神父シリーズの第一作目として注目したい点は2つありますが、第一に、宗教と理性が対立しないという著者(チェスタトン)の考え方が示されていることです。たとえば、この本の「青い十字架」で、大犯罪者フランボウは”人間の理性の上に素晴らしい宇宙、本当の理性の世界があるのだ”というような考え方を示していますが、それに対してブラウン神父は「教会のみが理性を真に至高なものにする」と反論します (pp. 31-32)。最初に読んだときは違和感を覚えたのですが、そこにこそブラウン神父の「無心 (innocence)」があり、シリーズをつうじて卓越した推理を見せる神父の秘密があるのだと思います。 

◆第二に、神父がおこなっているのは罪を裁くことではないということです。この大切なことに関する記述をいくつも見落としていました! それを上で引用してみました。とくに一番下の「神の鉄槌」での一言は、殺人者に残っている良心(自ら犯した罪の重圧に苦しみ続ける常人ではなく、罪に苦しむことのない狂人に濡れ衣をかぶせたこと)に訴えかける神父の考え方が良く分かる一文です。 ◆神父は罪の裁きを法の手に委ねるわけではなく、罪を犯した人自身に委ねます。事件が解決して終わりのように見えて、描かれていない部分にこそ神父の本質があるのではないでしょうか。それは人間の心に寄り添う神父の態度なのだと思いました。

2014年9月19日金曜日

「脳内汚染からの脱出」「東京今昔旅の案内帖」

1:09 Posted by どぼん , 6 comments

09/16 : 岡田尊司「脳内汚染からの脱出」

 依存症とは、それほど自分の力ではどうにもならないものなのである。せっぱ詰まった覚醒剤中毒患者が、自ら警察に駆け込むということも少なくない。自分を逮捕して貰うことでしか、自分を止められないと知っているからだ。依存症とは、それほど深いものである。ゲーム依存症も例外ではない。ただ、違いと言えば、薬物依存症が、一、二年もあれば、その人を精神病状態にまで蝕んでしまうのに対して、ゲーム依存症は、もっと長い年月をかけて、若者の人生を蝕むということである (p. 309)
◆ゲームに依存し続ける過程が脳を破壊する。それもじわじわと。小さな子どもたちはゲームをすることによって強力な快楽をむさぼる。しかしその裏では、社会性や共感性、集中力や意欲といったものに対する脳内汚染が少しずつ進んでいるのである。とりわけ暴力的なゲームは子どもたちをむしばみ、その人間性や考え方まで変えてしまう。ゲーム・ネット依存を警告し、そこから抜け出す道を提示している。

◆と書いたものの、当然、”誰もがゲームによって人生をボロボロにされる”というわけではないし、インターネットならばなおのことだと思う。その点でこの本は、「警告の本」として読むと面白い。とくに、幼少期の子どもへの影響は、そのあとの人生まで大きく左右してしまうのだと考えると恐ろしさを覚えずにはいられない。

09/16 : 井口悦男・生田誠「東京今昔旅の案内帖」

 明治期から昭和にかけての彩色絵葉書、写真、地図と、現在の同一視線を比べて東京観光名所の「今昔」をたどる一冊。シンボルツリー、路面電車、モダン建築、夜の銀座、劇場、花見、大学などなど、本書を片手にあなたの知らない東京を訪れてみませんか? (学研ビジュアル新書『東京今昔旅の案内帖』 | 学研出版サイトの紹介文より)

◆手抜きのコピペ

◆東京の今と昔を比べる本は多くあると思うけれども、この本が面白いのは、”ある場所”という点ではなくて、モノやコトをとおして線でたどってゆくという描き方にあると思う。点で注目すれば、とうぜん街並みは大きく変わっているのだけど、タワーのような建造物や、花見のような風物、帰宅ラッシュといった人びとの様子をみると、そこに不思議なつながりもみえて面白い。

◆周囲に比類する建物がなく、当時抜群の高さを誇った東京タワーのシルエットはまさにエッフェル塔のようで、何とも美しい(”けれど今は……”と思ってしまう)。海に面していた品川駅、日露戦争戦勝を記念して凱旋門や花電車(装飾した路面電車)が走っていたというのも面白い。

2014年9月9日火曜日

「お茶が運ばれてくるまでに」「ブラウン神父の秘密」

1:00 Posted by どぼん , 4 comments

08/31 : 時雨沢恵一「お茶が運ばれてくるまでに」

あなたはイスに座って、
ウェイターが注文を取りにきました。

あなたは一番好きなお茶を頼んで、
そして、この本を開きました。

お茶が運ばれてくるまでの、
本のひととき――
◆淡く優しい水彩の挿絵とともに語られる小さな物語。優しさのなかに、大切な問いかけが隠されています。大人なら「短い本だな、すぐ読んじゃったよ」と片付けるかもしれないけれど、子どもならそのなかにまた違った驚きを見出すかもしれない。ちいさな子どもに読んでほしい一冊。

◆「お茶が運ばれてくるまでに」読むはずが、喫茶店に行く途中の地下鉄のなかで読み終わってしまいましたが、何度見ても素敵な挿絵。


* 個人的お気に入り *
「ばけもの」:ばけものとは何者か?
「みため」:読みながら、”悲しくみえるのに、本人は悲しくない状況”などを想像していました。

09/07 : G. K. チェスタトン「ブラウン神父の秘密」

 チェイスは、たったひとりの相手と話しているのに、百人の殺人犯を相手にしているような気がした。鬼の眼はそこはかとなく鬼気を漂わせているような気がするのである。 [...] 殺人犯の亡霊どものようなその黒い影のむらがりは、獄舎につながれてでもいるように、ストーブの赤い鬼火の魔法の圏内から抜け出すことはできぬが、それでも折あらば主人の鬼に躍りかかって八つ裂きにしようという身がまえで、いつまでもうごめいていた。 (本書より「フランボウの秘密」, p. 272)
◆透き通った眼、小柄で丸い体、大きな黒い帽子と黒い蝙蝠傘をもち、神父といえば真っ先にイメージする真っ黒な上着。およそ殺人事件に立ち向かう人間には見えないいでたちです。どうしてブラウン神父というカトリックの司祭が、殺人事件をすらすらと解決できるのか。ブラウン神父の人びとの罪に対するまなざし、そして著者の思想が読み取れる一冊。誰よりも罪の身近さを理解しながら、誰よりもそれを御する力をもつブラウン神父。今作も脱帽です。

◆ブラウン神父シリーズを読むのは「童心」に続いて2作目ですが、最初に驚いたのは、ブラウン神父が犯人がやすやすと逃がしていることです。その罪をすべて認識しながら、その裁きを法に託すということをしないのです。そもそも、この本では犯人を警察に引き渡した話が一つもありません。◆殺人者の心理を内面に映すことで推理し、ふつうの人びとが許さないであろう本当の罪を心から理解する。そのうえで許し、認める。そんな彼が、「あなたがたが人を許すのは、許すほどのことが何もないからなのだ (p. 266)」というのは、本当の罪を知ったとたんに手の平を返す人たちに対する強烈な言葉。まさしくブラウン神父の秘密が詰まった一冊です。

2014年9月6日土曜日

(メモ) Word2007でアウトラインの数字がつぶれる現象

23:18 Posted by どぼん , 2 comments
この手のメモが増えるということは悩みが増えているということで、あまり嬉しくないことです。

問題:

ワード2007(おそらく他のバージョンでも)で、文書中の章や節といった区切りを表すアウトラインの数字が潰れるという致命的な問題。具体的にいえば、「①」などとしていた部分が「|」というように表示されてしまうという問題です。

「新しいアウトラインの定義」欄をみてみると、レベルに使用する番号は最初に指定したままになっていますが(何も変更していないので当然)、番号書式欄の文字が極めて小さくなっていました。

そこで「番号書式」のフォントからサイズを再指定しようとすると「数値は 1 から 1638 までです。」というメッセージが表示される。(”冗談じゃない、10.5と入力してるじゃないか!”と怒ったのは秘密です)

先に書いたとおり、アウトラインがダメになるということは、文書全体がダメになるということですから厄介な問題です。また同じことが起きるかもわからないのでメモ。手順は簡単でした。

手順:

  1. アウトラインのうち、つぶれているリスト記号を選択し、上部のツールバーからフォントサイズを入力してフォントサイズを変更する
  2. リスト記号ではなくそれに続くテキスト(章節番号ではなく、それに続くタイトルなど)を選択し、[ スタイル ] タブを開く
  3. [ スタイル ] タブをみると、選択されている(なんか光っている)スタイルがあるはずなので、それを右クリックして、「選択個所と一致するように~を更新する(P) 」を実行する

参考 :絵図もあり、非常に分かりやすいです。

 「Word のアウトラインの表示が崩れ [数値は 1 から 1638 までです。] と表示されフォントを変更できない | SE の雑記」 http://wp.me/p15G3m-5sF

「【Microsoft】スタイルで設定したアウトラインレベルの番号のフォントが壊れたときの対処【Word 2010】 - 左の耳の為に - Yahoo!ブログ」 http://blogs.yahoo.co.jp/bumin_macintosh/60604566.html

2014年8月14日木曜日

(メモ) Win7でバッチファイルをタスクバーに登録する方法

23:09 Posted by どぼん , 2 comments

問題:

ぼくの環境では、Soundfontなどの音源を使うためにVSTHostを使っているのですが、MIDIからVSTHostで音を出すためには、この2つを繋げる仮想ケーブルが必要です。

そこで、この仮想ケーブルの起動とVSTHostの起動をおこなうバッチファイルを用意したのですが、バッチファイルはタスクバーに登録できません。

バッチファイルをタスクバーに登録できれば、少々目障りだったデスクトップのアイコンをタスクバーに収納でき、見た目がすっきりします。VSTHostの起動が楽になることも確実です。

手順:

以下、Windows7 Home Premium 64bit の環境での手順です。
  1. [ すべてのプログラム ] > [ アクセサリ ] から [ コマンドプロンプト ] を右クリックし、 [ 送る ] > [ デスクトップへ送る ] でデスクトップにショートカットをつくる
  2. デスクトップにつくったショートカットを右クリックし、 [ プロパティ ] をひらく
  3. [ リンク先 ] の項目を”%windir%\system32\cmd.exe /C batファイルのアドレス”というようにする(例 : %windir%\system32\cmd.exe /C C:\Vsti\launchVSTHost.bat)(launchの"l"と"r"を間違えていたのは秘密です……)
  4. 変更したら [ OK ] を押し、そのショートカットを右クリックし、 [ タスクバーに表示する ] を押す
  5. タスクバーからきちんと起動することを確認できたら、デスクトップにつくったショートカットを削除する

手順3. にある”/C”は、「”文字列”に指定されたコマンドを実行した後、終了」するモードとして起動するという意味があるようです。


2014年7月31日木曜日

「医学的根拠とは何か」

19:20 Posted by どぼん , 4 comments

7月31日 : 津田敏秀「医学的根拠とは何か」


 人間を対象とする統計学を用いた研究を知らない多くの直感派の医師や医学研究者は、多いことや少ないことや発生するとかしないとかは、形容詞や副詞的表現でどうにでもごまかせると考えている。メカニズム派の影響で、病気の発生が多いことを観察し確認することで因果関係を察知することすら知らない。このような積み重ねは、公害事件などにおいて確信犯的な医学者のつけ入る隙を作ってきた。放射線による健康影響の問題では、もはや確信犯なのかそれとも無知なのかわからない状況をつくりだしている (p. 103)。
◆日本の「医学的根拠」の根本的な問題を指摘する一冊。そこには、人間や患者をみるはずの医学が人間を見ずに研究しているという奇妙な矛盾が存在する。なぜなら、彼らは科学的根拠に基づいて決定を下し説明する方法を持たないからだ。このことによって、でたらめともいえるさまざまな医学的根拠と、それにもとづく判断がなされてきた(序章・3章)。そこで著者は、疫学(≒統計学)にもとづいて数量的に示される「医学的根拠」の重要性を強調する。

◆著者は医学的根拠を3つに分類している。経験・直感にもとづく「直感派」。細菌などのミクロなレベルからアプローチする「メカニズム派」。統計データの比較などをによってマクロなレベルからアプローチする「数量化派」。数量化は、直感派やメカニズム派の知見を科学の言葉に置き換える手段であり、世界的には、”実際に人間に現れた現象”を数量化し、原因との因果関係の程度を把握する手法が確立され、用いられてきた。たとえば、1993年にアメリカで提唱されたEvidence-Based Medicineは、疫学では「直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理づけ〔メカニズム的説明〕」を判断材料として重視はしないと宣言している。

◆ところが、日本では”実際に人間に現れた現象”を数量化する段階でも、それを比較するなどして科学の言葉に置き換える段階でも大きな問題を抱えている。日本の医学には欧米諸国の疫学の知見が取り入れられておらず、「数量化派」を「統計的なデータの分析結果は個別の人間にあてはまるわけではない」とする、(著者のいう)19世紀のヨーロッパの議論が続いているのである。著者が主張するのは、「直感派」と「メカニズム派」を排斥することではなく、彼らの知見を、一般法則としての科学の言葉に置き換えることであり、そうした人材をうみだす医学界の体制を作ることである。「医学的根拠」をめぐるこの重大な問題に、どのように立ち向かうことができるのだろうか。

* 感想 *
「医学的根拠」というと、とくにメカニズム派の「医学的根拠」をイメージしやすい(”~菌が~秒の原因である”というような)けれど、この本を読んで大きくイメージが変わった。データを集め分析する手法が確立すれば、素早く、分かりやすい医学的判断を下すことができる。


2014年7月24日木曜日

「パンケーキの歴史物語」

22:23 Posted by どぼん , , 6 comments

07/23 : ケン・アルバーラ「パンケーキの歴史物語」

◆パンケーキとはなんだろうか。さらにいえば、パンケーキの本質はどこにあるのだろうか。小麦粉を使うことだろうか、膨張剤を使うことだろうか、甘味があることだろうか、あるいは平らな鉄板で焼くことだろうか。この問いに答えるべく歴史をさかのぼってみると、こんにちのパンケーキよりも前のパンケーキがみえてくる。その歴史物語の始まりは、古代ギリシャにまでさかのぼる。本書を読んでパンケーキの歴史物語を読みながら現代に帰ってきたとき、世界中をつなぐパンケーキ文化がみえてくる。

◆パンケーキはきわめてシンプルな料理だからこそ、人びとに愛されてきた。どの国でも、食べれば子ども時代を思い出す「なつかしの味」であり、国によっては民族のアイデンティティであり(葬式や文化的な行事で食べる)、庶民(や労働者)から貴族まで階級を問わず好まれてきたという、たぐいまれな食べ物なのである(と著者はいいたいようです)。「さあ、パンケーキを作ろう!パンケーキを食べに行こう!パンケーキや塩味のパンケーキを食べながら、人生を存分に味わい尽そう! (”訳者あとがき”, p. 168)」


* メモ *

◆クレープ・シュゼットの登場が偶然の産物だったという話が興味深い。英国皇太子(のちのエドワード7世)にクレープをつくる係だった14歳のシャルパンティエが、ソースに含まれていたリキュールに偶然火をつけてしまった。ところが、それを一口食べるとじつにすばらしい味だったという。◆”シュゼット”とは、皇太子が特別な思いを寄せていた女性の名前とも、単に居合わせた女性の名前とも、シュゼット・ライヘンブルクという女優の名前とも、シュゼット・カリニヤンという貴族の女性ともいわれる(ようするに、諸説ある)。

パンケーキの定義

 なんらかのでんぷん質の生地(バッター)を、フライパンあるいはそれに類する調理器具で焼いた平たい食べ物 (p. 16)で、内部はやわらかくしなやかであるという点で共通している (p. 20)

世界にある種々のパンケーキ

*) 本書のなかで、パンケーキの分類から除外されたものは書いてありません
**) 手書きメモから入力したため、間違いがかなりありそうです

ヨーロッパ

クレープ(フランス)、クレープ・シュゼット(フランス)、ソッカ(南フランス)、ガレット(ブルターニュ地方)、ブリンツ(イタリア)、フレンシェ(オランダ)、ポッフェルチェス(デンマーク)、ラッグムンク(スウェーデン)、プレッタル(北欧)、エーブレスキーバ(北欧)、ファナリータ(地中海沿岸南部)、ソッカ(地中海沿岸南部)、ラトケ(ユダヤ教)、プラッキ(ポーランド)、パラチンタ(東欧)ブリヌイ(ロシア)

アフリカ

アカラ(アフリカ)、インジェラ(エチオピア)、バグリール(モロッコ)、フンカソ(西アフリカ)

アジア

ドーサ(南インド)、ダダール・グルン(インドネシア)、バインセオ(ベトナム・カンボジア)、パック・モー(タイ)、ホットク(韓国)、ビンジャトック(韓国)、どら焼き(日本)、お好み焼き(日本)

北中南米

ゴルディータ(メキシコ)、カチャパ(ベネズエラ)、アレパ(ベネズエラ)、ププサ(エルサルバドル)、フラップジャック(アメリカ)、パンケケ・デ・ドゥルセ・デ・レチェ甘い牛乳のパンケーキ(南米)

2014年7月22日火曜日

「刑吏の社会史」「当世書生気質」「子どもの貧困II」

1:34 Posted by どぼん , , , 4 comments

07/07 : 阿部謹也「刑吏の社会史」

◆共同体の傷を修復するための儀式としての「処刑」をおこなう「刑吏」が、長い時間をへて、共同体から排除(市民権を認めない)されるほどに忌避されるようになったのはなぜか。つまり、神の使途として現れた刑吏が、どのようにして忌避の対象となったのか。人びとにとって「処刑」や「刑吏」はなんだったのかということを探る一冊。

◆刑吏という職業が生まれ、人びとが抱く刑吏へのイメージが変化してゆく。そしてその背後には、都市の成立のなかでの刑吏が公務員的な位置づけになっていったことや、純粋な市民(けがれのない市民)たちからなる同職組合の結成、あるいは土着の神とキリスト教的平和観の衝突などがあった。「社会史」の面白さが詰まった一冊ではないかと思います。


07/09 : 坪内逍遥「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)」

書「ヤ須賀。君も今帰るのか。」
須「オオ宮賀か。君は何処(どこ)へ行つて来た。」
宮「僕かネ。僕はいつか話をした書籍(ブック)を買ひに丸屋までいつて、それから下谷の叔父(おじ)の所(とこ)へまはり、今帰るところだが、尚(まだ)門限は大丈夫かネエ。」
須「我輩(わがはい)の時計(ウオツチ)ではまだ十分(テンミニツ)位あるから、急(せ)いて行きよったら、大丈夫ぢゃらう。」 宮「それぢゃア、一所にゆかう。」
須「オイ君。一寸(ちょっと)そのブックを見せんか。幾何(なんぼ)したか。」
宮「おもったより廉(れん)だったヨ。」
須「実にこれは有用(ユウスフル)ぢゃ。君これから我輩にも折々引かしたまへ。歴史(ヒストリー)を読んだり、史論(ヒストリカル・エッセイ)を草する時には、これが頗る益をなすぞウ。」
宮「さうサ、一寸虚喝(ほら)の種となるヨ。」
◆恋愛あり、笑いとハプニングあり、人生論あり・・・登場人物には、まじめで繊細な人もいれば、どうしようもないくせに口だけ回る人もいる。そこには人間や社会の姿があるといってもよいと思う。◆そして、そうしたありのままの人間の立ち振る舞いを創作して描き出すというのが、著者が「小説神髄」であきらかにした立場です(たぶん)。それは、それまでの文芸作品を乗り越え、勧善懲悪というメッセージありきの物語を乗り越えるということ、著者が近代文学の祖だといわれるゆえんはここにあるのでしょう(たぶん)。

◆と、そんな小難しいことを考えずとも、書生言葉(書生が使う、方言やら外国語やらが混ざった謎の言語)が面白いので、どんどん引き込まれる。本書に登場する書生の一人が、友人が購入した本をみてひとこと。「これは実にユウスフル(有用)ぢゃ」。


07/18 : 阿部彩「子どもの貧困II――解決策を考える」

 しかし、日本とオーストラリアの違いは、オーストラリアでは貧困層に給付を行うことは「当然」と思われているのに対し、日本においては貧困層への給付も厳しい目にさらされることが多いことである。[...] すなわち、高所得層をも対象に含めた普遍的な現金給付制度にも批判的であるし、貧困層のみをターゲットにする選別的な現金給付制度にも好意的とはいえない (p. 115)
◆貧困の原因は、個人にあるのだろうか。それとも環境にあるのだろうか。実際にそれを断言することはできないが、子ども期の家庭環境は、大人になったときの生活環境に大きく影響する。親が貧困ならば、子どもも貧困に陥ることが多い。◆親の貧困から子どもの貧困へと連鎖する過程にはどのような道のり(経路)があるのだろうか。著者が前著「子どもの貧困」で明らかにしたのは、その問いの答えになる要因があまりにも多いことと、そうした要因からもたらされる子どもの貧困が、とりわけひとり親世帯で深刻だということだった。このことは、負の連鎖を断つためには(現金給付だけではなく)さまざまな支援が必要だということを物語っている。

◆本書は、その問題意識を受け継いで解決への道のりを探り、読者に呼びかける。こうした問題を放置することは、社会的なコストが増えることにもつながる。だとすれば、どの段階で(未然に防ぐ制度か、あとから救う制度か)、誰に対して(広く浅くか、狭く深くか)、なにを(現金か、モノ・サービスか)、どのような支援をすればよいのかを考えなければならない。しかし、それぞれの選択肢は一長一短だから、明確に「この方法がよい」と答えることは難しい。また、その支援の成果をどのように評価するかといった政策評価の問題もある。

◆社会政策や社会福祉に関心がある方が読むと刺激になると思います。また、それ以外の人にとっても、現金給付などの大きな問題に再考を迫る(つまり、賛否両論が巻き起こりそうな・・・)一冊ではないかと思います。


気になった図表

気になった図表から、本書でいわれていることと自分用メモを記録

図表2-4 (p. 61) : 自分が40歳になったとき「やりがいを感じる仕事をしている」と思う中学3年生の割合(親への質問)
→ 相対的貧困層に属する親は、自分の子が40歳になったときに「やりがいを感じる仕事をしている」と「思う」割合が低い(つづく図表2-5によれば、子ども自身も同じような傾向を示している。”がんばっても仕方がない”ということか)
→ (メモ) いっぽうで、親の場合は「やりがいを感じる仕事をして”いない”」と「思う」割合も低い

図表3-4 (p. 93) : アメリカにおける対貧困プログラムの収益性(推計)
→ 生涯所得が大幅に増加するプログラムでも、費用対効果でみると望ましいとは限らない
→ (メモ) 大学授業料の1000ドル削減の費用対効果(≒生涯所得の増加)が意外と高い

図表7-2 (p. 191) : 世帯所得別学校外学習費
→ 塾や習い事などの学校外学習費は、早くも小学校の時期から大きな格差がみられる
→ (メモ) 私立中学校だけがほぼ横ばいにみえるのが不思議

貧困の連鎖の経路 (本書第2章より, pp. 35-66)

子どもが貧困状態に陥ると、どのような悪影響があるのか? 親の貧困と子どもの貧困をつなぐ要因(経路、因果関係)の一部(この経路の解明・立証はきわめてむずかしい)
*) 図のなかの「?」は、本書で「検討が必要」などとして疑問視されているもの。
**) 該当箇所を参考にして適当にまとめただけなので、内容の正確さは保障できません (汗)

2014年7月18日金曜日

打ち込み日記 - ショパン ポロネーズ変イ長調 作品53 "英雄" (2)



英雄ポロネーズ (0) の試作版から、間違いを修正した英雄ポロネーズ (1) を公開し、今回バージョン2となります(全般的によくなったため、旧バージョンは削除)。

強すぎず、しかし、堂々と!

そしておまけに、英雄ポロネーズ (3)をつくってしまいました。何度直すんだろう。

2014年7月1日火曜日

Word : 個人的ショートカット

23:53 Posted by どぼん , 2 comments
いざ再登録するときに困らないように、φ(..)メモメモです。
Word2010のショートカットキーを登録します。

ショートカットキーの登録

[ ファイル ] タブ >  [ オプション ] > [ リボンのユーザー設定 ]

を開いたら、ずらっとアイコンの並んだ画面の下にあるショートカットキー [ ユーザー設定 ] をクリック

[ キーボードのユーザー設定 ] という画面が開く

ここであれこれショートカットキーを変更できるのです。

今のところぼくが変更したのは、

ClearAllFormatting : 選択した文字列の書式とスタイルをクリア [Ctrl + Space]
CommaAccent : 選択した文字列に読点の傍点を設定/解除 [Ctrl + ,]
DotAccent : 選択した文字列にピリオドの傍点を設定/解除 [Ctrl + .]
IndentChar : 文字幅分ずつインデント [Ctrl + M]
IndentFirstChar : 1行目のみ文字幅分ずつインデント [Ctrl + T]
InsertAnnotation : コメントを挿入 [Alt + C]
UnIndentChar : 文字幅分ずつインデントを解除 [Ctrl + Shift + M]
UnIndentFirstChar : 1行目のみ文字幅分ずつインデントを解除 [Ctrl + Shift + T]


とくにインデントの追加・解除と書式・スタイルの解除は大変よく使います。文章を書くだけの簡単な使い方しかしないので、このショートカットが大変役立つのです。より複雑で高度な使い方をする方には、他にも便利なコマンドがありそうです。

メモ――コーヒーは、愛のように甘い

22:29 Posted by どぼん , 4 comments
おいしいコーヒーは、
夜のように黒く、
地獄のように熱く、
恋のように甘い
――ミハイル・A・バクーニン (1714-1876)
さかのぼると、
悪魔のように黒く、
地獄のように熱く、
天使のように純粋で、
恋のように甘い
――タレーラン・ペリゴール (1754-1838)
さかのぼると、
夜のように黒く
心のように熱く
花のように純粋で
恋のように甘い
――ヴェネチアに伝わることわざ
さかのぼると、
地獄のように熱く
インクのように黒く
愛のように甘い
――アラブ諸国に伝わることわざ

*) 以上は、島村菜津「バール、コーヒー、イタリア人――グローバル化もなんのその」,光文社新書(296), 2007, pp. 169-173. より


1911年に開業した「カフェー・パウリスタ」のキャッチコピー「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱きコーヒー」は、ペリゴールの言葉ととても似ている。このキャッチコピーは広く知られたそうだけれど、源流をたどると、かなり古いのではないかと思う(だれかが調べてくれていそうだけど分からない)。

ちなみに著者いわく、イタリアのバールでは、砂糖を2杯も3杯も入れるおじさんをよく見かけるのだそう。そりゃ甘いわけです。



「茗荷谷の猫」 『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』 「活字のサーカス」

0:42 Posted by どぼん , , 5 comments

05/29 : 木内昇 「茗荷谷の猫」 

――緒方の言う通りにしてみようか。分枝は、そう思った。また、内側に立ってみるのだ。「物語」には別段、嘘偽りはないのだから。信じられないけれど、現実にそれは起こったのだ (本書より「茗荷谷の猫」, p. 93)。
◆短編集なのだけど、読み進めるたびに全編がわずかに繋がっていることに気がつく。そこに共通して描かれるのは、人生をなんとなく過ごしながらも、みずからの「生」を確立しようと向き合った人たちの物語だ。あるいは自分の生を確立するために明るかった妻を失い、あるいは伝説の黒焼きによって世を救おうとするがことごとく挫折する(失礼だけど、この挫折っぷりがまた面白い)。けれど、世を救おうというその願いは、思わぬかたちで小さく叶う。この世界はなんと波乱に満ちているのだろう。

◆こう考えると、この本はこういえるかもしれない。生の確立と挫折をとおして、さくらを「めっける」ような、当人の意図のとうてい届かない波乱に満ちた世界と戦いながら生きる人びとと、波乱のなかでの不思議なつながりが描かれている、と。

◆読みながらいろいろと考えさせられる、ぼくにとってとても深みのある一冊でした。



06/16 : 鳥羽博道 『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』

 それはひと言でいえば、企業哲学の違いに尽きる。儲かりそうだからやるのか、いっぱいのコーヒーを通じて安らぎと活力を提供したいと心から願ってやるのか。 [...] ただ単に形式だけをまねてやったものは感動、共感、共鳴を呼び起こすことなどできない (p. 113)。
◆タイトルどおり、ドトール創業者みずからドトールの歩みについて語っている一冊。ドトールにはしょっちゅうお世話になるので手に取ってみた(ただし愚痴を書くと、某なんとか馬場などのドトールは消しカスに遭遇することが多いので決して行かない。まあ、僕一人行かないところでなんてこともないに違いないが。また、同系列店のエクセルシオール・カフェも、なぜか忙しいノマドさんやうるさい客が多くて落ち着かない。ゆったり過ごせる店舗はないものか……と、余談が長くなってしまいました)。

◆人前で赤面してしまうほどだった著者は、持ち前の負けず嫌いな性格と、赤面してしまう自分にもできることをみつけて遂行する努力によってそれを克服してきた。あるいは、悪い印象と価格上昇によって、「喫茶店が人びとの手から離れてゆくこと」に対する危機感が著者の使命感となり、自分を克服する原動力になったのかもしれない。つねに顧客に目線をむける著者の姿勢は、昔から今までドトールの基礎になっているという。

◆著者の気迫を感じる一冊だった。よく年輩の方が「若者は気概が足りない」というけれど、この本を読めばそれも納得できる。なにせ、著者は「勝つか死ぬか」で生きてきたのだ。つねに競争に身をおいてきた著者の言葉は、競争を回避しようとする傾向があるといわれる若者にどのように伝わるのだろうか。



06/22 : 椎名誠 「活字のサーカス」 

 しかし、日常ふだんから人前で気軽に抱きあっているアメリカ人のそれふうのしぐさと違って、突如として白昼人前で抱きあう日本人というのは、なにか妙に意識的で重くて、ヘンに淫靡で猥褻で、見ていてひどく気分がわるい。まあ、早い話がおそろしくカッコ悪いのだ (本書より「ブキミな日本人」, p. 190)。
◆いろいろな本が登場するエッセイと言った方がいいかもしれない。この本をとおしてみえてくる著者の世界は、みずからを活字中毒者というように、活字と密接に結びついている。本を読んでそれを現実に結びつけているのではなく、現実にあることを描くうちに本が浮かんでくるのではないかと思う。この本のように、それを自然にできるのは、そうとうの読書家だと思う。これは知識量の差というよりも、本と対話することができるかどうかの差ではないか。


◆個人的に面白いと思ったのは「おせっかいニッポン」。たとえば日本では、ふつうの人がくぐるわけもない踏切にわざわざ「くぐるな」と書かざるを得ない(なぜなら、書かないと、クレームをつける”暇なおせっかい”がいるから)。いわれてみれば、わたしたちの身の回りに「分かりきった注意書き」の多いこと! このように、読書関連の本というよりは、ふつうにエッセイとして面白く読める。


2014年6月14日土曜日

雑記:じゃんけん――電車内にて

8:20 Posted by どぼん 4 comments

じゃんけん――電車内にて


 混雑する車内。駅に着くと、3人の女子大生が素早く空席の前にやってきた。目の前にある空席は二人分しかない。そこで彼女たちはこの座席をめぐってじゃんけんを始めた。

 それをみていた老人が「つぎで降りるから」と席を譲った。そうすると彼女らは笑顔満面で礼をいい、その場に譲り合いの喜びが生まれたかのようにみえた。彼女たちはこうして3人分の座席を作ることに成功した。おい!

ノマドさんが通る

(オフィスはあると思うので、正確にはテレワークさんなのですが)

  ちょっと暇があると、コーヒーを飲めないくせにカフェ(喫茶店)に立ち寄るのだけど、後ろの客がすごくうるさい(対面する2人用の座席が縦に並んでいる)。例によってタイピング音と電話。すこし苛立ったけれど、それ以上に、なぜ苛立つのかということに関心をもった。たとえば喫茶店で勉強する人などは、間違いなく昔から居たはずだけど、これほど不満の声を聞くのはここ最近のことではないかと思う。人びとにとっての喫茶店という場所の意味が揺らいでいるのかもしれないなと、ひとりで考えながらうなづくのでした。


(些細なお知らせ) ちかいうちにテンプレートを変更するつもりで、テンプレートをダウンロードして、フォント変更などのささいな手入れを始めました。どうも、字が小さいと見づらいのです……(老人か)

6月30日:テンプレートを変えました。ちゃっかりスマートフォン対応、本人が持っていないのに。不具合がないか、確かめています。

2014年5月20日火曜日

「スターバックス再生物語」 メモ

21:00 Posted by どぼん , , 4 comments

 05/19:ハワード・シュルツ「スターバックス再生物語 つながりを育む経営」

◆スターバックスの実質的な(実際には違うけれども)創業者といってもよい著者が語るスターバックスの歴史。経済危機、営利主義によって、スターバックスの本質が失われようとしていた。そこで著者は、スターバックスのCEO(最高経営責任者)として復帰し、理念と現実のあいだで悪戦苦闘する。

◆というと格好いいのだけど、423ページはすこしきついか。◆個人的におもしろいと思ったのは、 「第三の場(第四の場)」「スターバックス体験」という理念と、それらの理念と現実を折衷させてゆく解決方法です。いくつかメモしてみたいと思います。

 サンドイッチの廃止

CEOを退いた著者(オーリン・スミス → ジム・ドナルド)。サンドイッチは人気だったが、中身のチーズなどがオーブンのなかに落ちて焼けると、焦げたにおいを発する。「イタリアのバールのロマンからこれほど遠いものはないのである」「サンドイッチの販売をやめてくれ!  (pp. 55-56)」。
→ のちに、においの少ない、オーブンを使わないサンドイッチを開発している

→ 経済環境の悪化に加えて、店内にコーヒーの香りがしないなどといった、スターバックスの本質を揺るがす危機。数字上の業績は良好。お客様の期待ではなく、ウォール街からの期待に応えている現状があった。2008年にCEO復帰

パイクプレイス® ロースト

2007年「コンシューマー・レポート」で行われたコーヒーの味のテストで、スターバックスがマクドナルドよりも低い評価を得る。
日替わりにさまざまなコーヒーを提供するのではなく、一貫性のあるコーヒーを提供することと、本格さよりも飲みやすさのあるコーヒーを要求されていることが明らかになった。
 2008年1月、ついにスターバックスの焙煎哲学を放棄することなく、より多くの人がブラックで、あるいは砂糖とミルクを入れて楽しむことができるコーヒーができた。バランスのとれた風味豊かなブレンドだ。このブレンドは、第一号店の名前をとってパイクプレイス・ローストと名づけられた (p. 114)。
→ 「質の低いコーヒー」で勝負しない点に、スターバックスの哲学がある。

マストレーナ

マニュアルのエスプレッソマシンの品質と体験を提供しつつ、自動の機械のように効率的でパートナーの負担にならない、半自動のエスプレッソマシン。ラ・マルゾッコ(完全手動)→ベリシモ801(半手動)→マストレーナ。詳しい人は、このマシンがいい! というこだわりもある様子。

  バリスタは抽出や泡立てをこれまで以上に管理することができ、カウンターの向こうで待つお客様と目を合わせたり、言葉を交わしたりすることによって、ふたたびつながりをつくることができるようになった (p. 407)。

クローバー

 クローバーはフレンチプレスとサイフォンを組み合わせたような機械で、極細に挽いた粉を、上から圧縮するのではなく、底から吸い込む。濾過には目の細かいフィルターが使われるので、最もおいしい油分が残されるのだ (p. 123)。
スタバの店舗検索によると、日本では1024店舗中22店舗(2015年5月時点)にある。

ソルベット、ヴィア、マザグラン。面白いなあ(独り言)。


2014年5月18日日曜日

「いやいやながら医者にされ」「日本最初の珈琲店」 「論文の書き方」

23:16 Posted by どぼん , , , 10 comments

05/16:モリエール「いやいやながら医者にされ」

レアンドル [...] 実は、さっき手紙を受け取ったんですが、それによると、伯父さんが死んで、ぼくはその財産をそっくり相続することになりました。

ジェロント あなたはほんとに立派なかただ。娘は喜んであなたに差しあげましょう!  (本書, p. 82)
◆木こりが妻のたくらみから始まって名医に”仕立て上げられてゆく”喜劇。漫才を思わせるような、つねに聴衆の裏をかくリズミカルなやり取り、その専門性を悪用する医者への風刺、その権威に疑いを感じながらもひたすら信じるしかない一般大衆の滑稽な姿が生き生きと感じられる。この喜劇の初演は1666年なのだけど、そんな風には思えない。時代を超えた笑いの世界、思わず吹き出してしまう一冊。

◆余談ですが本書の前半では誰かを殴るシーンが多いのでメモ。夫婦げんかで木こりが妻を殴る (p. 12)。仲裁に入った隣人を夫婦で殴る (13, 15)。召使たちが「殴りでもしないと自分が名医だと白状しない」という話を真にうけて木こりを殴る (30, 31)。、旦那(主人)に叱られた妻を叱りつけるフリをして旦那を殴る (39)。殴られて名医にされた木こりが、「これであなたも医者だ」といって旦那を殴る (41)。全部おかしい。


05/17: 星田宏司 「日本最初の珈琲店―『可否茶館』の歴史」

 その上に、ヨーロッパのコーヒー・ハウスにもない「社交場」または「知識の共通の広場」を提供した『可否茶館』の構想は、当時の日本の人々の生活・意識からすれば、理想だけが先行し、営業としてはとうてい考えられないことだった、と言ってもよかろう (本書, pp. 44-45)。
◆コーヒーを飲む場所として明確な指針を打ち出した最初の喫茶店、それが明治21年4月6日に開業した「可否茶館(コーヒーちゃかん? かひーさかん?)」だった。可否茶館は、日本最初の喫茶店であると同時に、欧米で知的交流の場として栄えてきたコーヒー・ハウス文化を日本に取り入れるという、その先駆的なコンセプトにも驚かされる。欧米文化を一般レベルに取り入れようとした鄭永慶の志を具現化したものが可否茶館だったといえそうだ。鄭永慶(ていえいけい:日本人です)の志と、可否茶館という挑戦、その失敗と生涯。期せずして胸が熱くなった一冊だった。


05/18: 清水幾太郎 「論文の書き方」

 空間的並存状態にあった現実が人間の手によって時間的過程へ投ぜられ、新しい人為的秩序を与えられる時、そこに新しい現実が生まれるのである。新しい真実と呼んでもよい。単に新しいだけでなく、これが本当の現実、本当の真実というものである。有意味な現実、有意味な真実というものである。本当の現実や本当の真実は、人間の働きを含んで初めて成り立つ。人間の責任を含んで初めて成り立つ (本書, p. 109)。
◆文章術の本のベストセラーといってもよさそうだ。初版の1959年からいまもテキストとして挙げらているのをよく見かける。この本はいわゆるハウツー本とは違って、論文を書くための方法についてはほとんど立ち入っていない(とぼくは思う)。それよりも、もっと根本的なところで「どうやって論文を書くのか」という問いについて考えている一冊ではないか。

◆ここでいう「論文」とは、知的散文といった程度の意味だ。なにかについて、それを知らない人にも伝えるための文章のことだ。書いて伝えるということは意外と難しい。自分流の文章術をつくりたいという人にとって、重要な手掛かりになるはずだ。(反面、ふつうのハウツー本として手に取るとものすごいガッカリします)。

 * 余談 *
マインドマップツールXMindを使ってみました。つたない。
OLさんたちが”だべっている”横で、ぽちぽちパソコンをいじくりまわしながら本を読んでいました。


2014年5月2日金曜日

「知の広場」「かくれんぼ・毒の園」「15分あれば喫茶店に入りなさい。」

23:26 Posted by どぼん , , , 10 comments

04/21 : アンニョリ「知の広場」

◆勉強をする人たちのお堅い場所だと思われがちな図書館。それをすべての人びとに開放し、居心地の良い場所にしようという著者の試み。図書館の文化的な価値を見つめ直し、図書館の未来を切り開くための具体的な設計をしっかり組み立ててゆく様子がとても面白い。(後日引用文を載せます)

04/28 : ソログープ「かくれんぼ・毒の園」 他五篇

 ワローヂャは勤勉な子で、噂では才能のある子だそうである。ところが、今日という今日は勉強をするのが彼には大儀なのである。どの学課にも手をつけず、何かしら不愉快なことを思いうかべた。その課目の教師や、教師が通りすがりに言いすてて、感じ易い少年の心の底に消しがたいものを置いていった乱暴な毒舌が、いまさらのように胸にうかぶのであった (本書より「光と影」, p. 63)。
◆ひたすら描かれる厭世と死の物語。純粋な子どもに厳しい仕打ちを加える大人、なんの変化もない平坦な生活や、半ば滑稽なかたちであっけなく死を遂げる俗物の存在は著者の厭世的な考えを物語っているかのようです。他方で、少女の純粋な死や、愛と死の重なりが美しく描き出される。なんとも不思議だなと感じた。

05/02 : 斎藤孝「15分あれば喫茶店に入りなさい。」

 喫茶店にわざわざ何百円ものお金を払うのは、コーヒーではなくて空間を買っているからです。「リラックスしていて、なおかつ生産的」な、その空間で、少しでも前進するための思考を巡らせるべきなのです(本書, p. 37)。
◆主婦に社会人、いろいろな人のための喫茶店有効活用術の本。日常にビジネス、会話に商談、一人での思考に仲間との議論、いろいろな人が集まるのが喫茶店。そこは独特の「ライブ感」のある半公共的な空間だ。著者によれば、こうした空間が創造的な思考にとても適しているという。たとえば、日ごろから自分がこなすべき課題を見つけておき、喫茶店で片づける。そんな著者の「喫茶店タクティクス」には1分1秒も無駄にしないという強い意志が感じられる。◆けれど、喫茶店などはあくまで「半公共的な空間」。道具を広げて勉強したりするのは半公共的空間の「自宅化」。この点についてもたびたび警告している点は見落とされるべきではない。

2014年4月12日土曜日

「牝猫」「内向型人間の時代」

15:58 Posted by どぼん , , No comments

03月31日:コレット「牝猫」

 もう彼女は計画を立てている、もう陰謀の意図をはりめぐらせ、架け橋をつくっている、もうなにかをひろいあげ、つくろって、仕立てなおそうとしてるんだ……まったくたまったもんじゃない。母さんは彼女のこういうところを高く買っているのかな。たしかにそれはとても立派なことかもしれないさ。でもぼくはもう、そういう彼女を褒めてやることも、理解してやることもできそうにない。ぼくには堪えがたいことを、彼女はなんてのびのびとやってのけるんだろう……さっさと帰ってくれないかな、もう、さっさと帰ってくれ…… (本書, p. 179f)
◆主人公アランと愛猫サア、そして新妻カミーユ。男と猫と女という奇妙な三角関係の物語。主人公と愛猫のあいだにはすでに二人(二匹)の世界があって、その世界に入って行けない妻は、夫(主人公)の愛猫に対する憎しみを募らせてゆく。いっぽうで主人公は、妻を愛しつつも失望も覚える。◆主人公と妻という人間の違いがはっきりみてとれるラストが印象的でした。

◆その人間の違いは、凋落しつつある旧家に生まれ育った主人公がもつ貴族らしさ、エリートらしさによるものです。主人公にとっては、妻の立ち振る舞いや言動、そして貪欲さや利得に生きる彼女は「不純なもの」でした。「サアがライバルになるはずはないじゃないか」「きみにライバルがいるとしたら、不純なものたちのだれかだろうから…… (p. 52)」

◆反対に、愛猫にたいしては「猫科の動物の気品というものがあるし、欲得なんかを超越している、身の処し方を知っており、人間のエリートに似たところがある…… (p. 37)」といっています。◆そう考えると、主人公は、自分自身と愛猫になんらかの共通点、つまり、ある種の純粋さ、エリートとしての誇りを見出していたのでしょうね。妻は「不純」で、自分と猫は「純粋」、しかし妻からみれば、主人公は「人間」で猫はたかが「動物」、この入り組んだ対立は何とも面白いです。


著者 : コレット
岩波書店
発売日 : 1988-12-16

04月01日:スーザン・ケイン「内向型人間の時代」

 私はどうかしている? エミリーがそう自問するのも、グレッグが彼女を責めるのも、驚くべきことではない。おそらく、性格タイプに関するもっともよくある――そして有害な――誤解は、内向型は反社会的で外向型は向社会的だという考えだろう。ここまで見てきたように、この公式はまったくの誤りだ。内向型と外向型は、違う形で社会的なのだ (本書, p. 286)。
<外向型人間と内向型人間> (p. 345)
外向型人間(行動の人):意気軒昂、明るい、愛想がいい、社交的、興奮しやすい、支配的、積極的、活動的、リスクをとる、鈍感、外部志向、陽気、大胆、スポットライトを浴びるのが好き

内向型人間(熟考の人):思慮深い、理性的、控え目、繊細、思いやりがある、真面目、瞑想的、神秘的、内省的、内部指向、丁重な、穏やか、謙虚、孤独を求める、内気、リスク回避的、神経過敏

……などといった特徴をもつ。

◆社会(とくにアメリカ社会)では、積極的なリーダー的人間、つまり外向型人間を理想とする「文化」が存在します。それにたいして著者は、消極的にみえる静かな人間の力を強調します。静かな人間(内向型人間)の多くは、思慮深さはあっても内気ではないし、また病気なのでもなく、人間関係を作れないわけでもありません。彼らは、外向型人間以上の”のびしろ”を持っていることさえあるのです。
◆内向型人間と外向型人間を分けるのは、自分の能力を最大限に発揮するために必要な(五感の)刺激の度合いの違いです。たとえば、内向型人間にとって、大勢の人間を前にしたプレゼンやにぎやかなパーティーなどは、自らの能力を発揮する環境としては刺激が強すぎるのです。

◆そしてその特性は、半分が先天的に決まるそうです。もしそうだとすれば、内向型人間にとって大切なこととは、その自分の特性を受け入れ、自分とうまく折り合いをつけてゆくことであって、自己(の特性)を否定して外向型人間になろうとすることではありません。◆この主張は、自分の内向性に悩んでいる人にとって、その内向性をさまざまな知見から容認してくれるものだといえるでしょう。

◆この本が日本でヒットしているのは、みずからを内向型人間だと思う人が多いということなのかもしれません。



あと「知覚の扉(オルダス・ハクスリー)」という本も手に取ったのですが、なんとまあ難しい。断念しました。

2014年3月26日水曜日

「白熱講義!日本国憲法改正」「キャリア官僚の仕事力」「孤独な娘」

15:13 Posted by どぼん , , No comments

03月26日:小林節「白熱講義!日本国憲法改正」

 したがって、私たち国民は、国家(権力者)が国民のためにきちんとサービスを提供し、権力を笠に暴走していないか、常に国家を管理する必要がある。それができるのは唯一「主権者・国民」だけである。そして国民が国家を管理するための規範となるマニュアル(手引書)、それが「憲法」である (本書, p. 56)。
◆タイトルが示すとおり、憲法は国民が国家の権力行使に制約を与えるためのものだということを「講義」し、そのうえで現代に対応した憲法「改正」を行うことを主張している一冊です。その関連で、自民党の憲法改正草案に対しては、9条改正や天皇元首規定(勝手な造語)などに対しては”一定の”理解を示しつつも、憲法改正の条件(現憲法96条)の変更や、愛国心規定や家庭尊重規定といった、道徳的かつ国民に義務を課する記載を含む条項に対しては批判を加えています。

◆憲法の改正に賛成であれ反対であれ、憲法のはたらきについて考えたうえで、あらためて改正の是非を考えることができる一冊だと思います。


03月26日:中野雅至「キャリア官僚の仕事力」

◆キャリア官僚の仕事からみえてくるしたたかな仕事術を描き出している本です。ドラマで「官僚」といえば、その知識を利用して金儲けに保身にと悪事の限りを尽くしているエリートというのがよく描かれるイメージですが、実際には、国民や国会議員、業界団体、経営者団体、労働組合といった全方位の人びとを相手に、しかもそれらの調整を図りながらの激務。その激務をこなすためには、情報処理・生産能力だけではなくて、情報入手のために飛び回るフットワークの軽さや、処理した情報を人に分かりやすく説明する能力、そして利害調整を行うためにゴマをするような交渉能力(と度胸)など、じつにさまざまな能力が、高いレベルで求められるといいます。◆上司をも騙して話を双方の妥協点にもってゆくというような、したたかな仕事術! その仕事術には、多くの社会人にとって必要なノウハウが詰め込まれていそうです。◆彼らの仕事場は、一方では怒号が、もう一方では議論熱が絶えません。さらに他方では、そんななかで自分の作業に完全に集中している人もいる。実際の官僚仕事やその官僚制度にある問題点も指摘しながら、その実態を活き活きと描き出している、面白い一冊でした。

03月25日:ナサニエル・ウェスト「孤独な娘」

 《孤独な娘》は、数年前うっかりして小さな蛙を踏みつぶしたときのような感じに襲われた。はみだした内臓は憐れみの情をそそるものだったが、蛙の苦悶が自分の感覚になまなましく伝わってくると、憐れみは怒りに変った。彼は気が狂ったように蛙を踏みつけ、殺してしまった (本書, p. 50)。
◆新聞の読者の悩みを引き受ける「孤独な娘」。それは新聞の読者を伸ばすための企画にすぎず、実際には読者に何らかの救いを与えるわけでもなんでもない。それでも「孤独な娘」には、彼に助けを求める人びとからの投書が絶えません。それは、まるで彼が、救いを与える神であるかのように。◆ところが「孤独な娘」は、彼らの苦悩が自身のうちにあることに気づきます。それは、みずからがもつべき価値を失ってなお宗教にすがる都市生活者を覆い尽くす憂鬱。

 両親もまた夢を作るための仕掛けなのだ。[……] メアリのような人たちは、こういう物語に支えられなければ何もできないのだ。彼らはこういう話が好きなのだ。なぜなら、服装や仕事や映画以外のことをしゃべりたいから。何か詩的なことについて語りたいから (本書, p. 66)
◆実際にはなんの役にも立たないアドバイスを送る「孤独な娘」にすがる人びと。人びとを救う「孤独な娘」自身をも巻き込んで都会を覆い尽くす憂鬱、虚栄。価値を失い、神(=孤独な娘)にすがることしかできなくなってしまった人びと。そんな憂鬱感をどこか冗談めかせて滑稽に語らせているところに、すこしの気持ち悪さを覚えた一冊でした。