本読み、音楽、アニメ、ゲームなど……じぶんのためのメモ的なものを、気まぐれに載せています。

2014年7月31日木曜日

「医学的根拠とは何か」

19:20 Posted by どぼん , 4 comments

7月31日 : 津田敏秀「医学的根拠とは何か」


 人間を対象とする統計学を用いた研究を知らない多くの直感派の医師や医学研究者は、多いことや少ないことや発生するとかしないとかは、形容詞や副詞的表現でどうにでもごまかせると考えている。メカニズム派の影響で、病気の発生が多いことを観察し確認することで因果関係を察知することすら知らない。このような積み重ねは、公害事件などにおいて確信犯的な医学者のつけ入る隙を作ってきた。放射線による健康影響の問題では、もはや確信犯なのかそれとも無知なのかわからない状況をつくりだしている (p. 103)。
◆日本の「医学的根拠」の根本的な問題を指摘する一冊。そこには、人間や患者をみるはずの医学が人間を見ずに研究しているという奇妙な矛盾が存在する。なぜなら、彼らは科学的根拠に基づいて決定を下し説明する方法を持たないからだ。このことによって、でたらめともいえるさまざまな医学的根拠と、それにもとづく判断がなされてきた(序章・3章)。そこで著者は、疫学(≒統計学)にもとづいて数量的に示される「医学的根拠」の重要性を強調する。

◆著者は医学的根拠を3つに分類している。経験・直感にもとづく「直感派」。細菌などのミクロなレベルからアプローチする「メカニズム派」。統計データの比較などをによってマクロなレベルからアプローチする「数量化派」。数量化は、直感派やメカニズム派の知見を科学の言葉に置き換える手段であり、世界的には、”実際に人間に現れた現象”を数量化し、原因との因果関係の程度を把握する手法が確立され、用いられてきた。たとえば、1993年にアメリカで提唱されたEvidence-Based Medicineは、疫学では「直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理づけ〔メカニズム的説明〕」を判断材料として重視はしないと宣言している。

◆ところが、日本では”実際に人間に現れた現象”を数量化する段階でも、それを比較するなどして科学の言葉に置き換える段階でも大きな問題を抱えている。日本の医学には欧米諸国の疫学の知見が取り入れられておらず、「数量化派」を「統計的なデータの分析結果は個別の人間にあてはまるわけではない」とする、(著者のいう)19世紀のヨーロッパの議論が続いているのである。著者が主張するのは、「直感派」と「メカニズム派」を排斥することではなく、彼らの知見を、一般法則としての科学の言葉に置き換えることであり、そうした人材をうみだす医学界の体制を作ることである。「医学的根拠」をめぐるこの重大な問題に、どのように立ち向かうことができるのだろうか。

* 感想 *
「医学的根拠」というと、とくにメカニズム派の「医学的根拠」をイメージしやすい(”~菌が~秒の原因である”というような)けれど、この本を読んで大きくイメージが変わった。データを集め分析する手法が確立すれば、素早く、分かりやすい医学的判断を下すことができる。


2014年7月24日木曜日

「パンケーキの歴史物語」

22:23 Posted by どぼん , , 6 comments

07/23 : ケン・アルバーラ「パンケーキの歴史物語」

◆パンケーキとはなんだろうか。さらにいえば、パンケーキの本質はどこにあるのだろうか。小麦粉を使うことだろうか、膨張剤を使うことだろうか、甘味があることだろうか、あるいは平らな鉄板で焼くことだろうか。この問いに答えるべく歴史をさかのぼってみると、こんにちのパンケーキよりも前のパンケーキがみえてくる。その歴史物語の始まりは、古代ギリシャにまでさかのぼる。本書を読んでパンケーキの歴史物語を読みながら現代に帰ってきたとき、世界中をつなぐパンケーキ文化がみえてくる。

◆パンケーキはきわめてシンプルな料理だからこそ、人びとに愛されてきた。どの国でも、食べれば子ども時代を思い出す「なつかしの味」であり、国によっては民族のアイデンティティであり(葬式や文化的な行事で食べる)、庶民(や労働者)から貴族まで階級を問わず好まれてきたという、たぐいまれな食べ物なのである(と著者はいいたいようです)。「さあ、パンケーキを作ろう!パンケーキを食べに行こう!パンケーキや塩味のパンケーキを食べながら、人生を存分に味わい尽そう! (”訳者あとがき”, p. 168)」


* メモ *

◆クレープ・シュゼットの登場が偶然の産物だったという話が興味深い。英国皇太子(のちのエドワード7世)にクレープをつくる係だった14歳のシャルパンティエが、ソースに含まれていたリキュールに偶然火をつけてしまった。ところが、それを一口食べるとじつにすばらしい味だったという。◆”シュゼット”とは、皇太子が特別な思いを寄せていた女性の名前とも、単に居合わせた女性の名前とも、シュゼット・ライヘンブルクという女優の名前とも、シュゼット・カリニヤンという貴族の女性ともいわれる(ようするに、諸説ある)。

パンケーキの定義

 なんらかのでんぷん質の生地(バッター)を、フライパンあるいはそれに類する調理器具で焼いた平たい食べ物 (p. 16)で、内部はやわらかくしなやかであるという点で共通している (p. 20)

世界にある種々のパンケーキ

*) 本書のなかで、パンケーキの分類から除外されたものは書いてありません
**) 手書きメモから入力したため、間違いがかなりありそうです

ヨーロッパ

クレープ(フランス)、クレープ・シュゼット(フランス)、ソッカ(南フランス)、ガレット(ブルターニュ地方)、ブリンツ(イタリア)、フレンシェ(オランダ)、ポッフェルチェス(デンマーク)、ラッグムンク(スウェーデン)、プレッタル(北欧)、エーブレスキーバ(北欧)、ファナリータ(地中海沿岸南部)、ソッカ(地中海沿岸南部)、ラトケ(ユダヤ教)、プラッキ(ポーランド)、パラチンタ(東欧)ブリヌイ(ロシア)

アフリカ

アカラ(アフリカ)、インジェラ(エチオピア)、バグリール(モロッコ)、フンカソ(西アフリカ)

アジア

ドーサ(南インド)、ダダール・グルン(インドネシア)、バインセオ(ベトナム・カンボジア)、パック・モー(タイ)、ホットク(韓国)、ビンジャトック(韓国)、どら焼き(日本)、お好み焼き(日本)

北中南米

ゴルディータ(メキシコ)、カチャパ(ベネズエラ)、アレパ(ベネズエラ)、ププサ(エルサルバドル)、フラップジャック(アメリカ)、パンケケ・デ・ドゥルセ・デ・レチェ甘い牛乳のパンケーキ(南米)

2014年7月22日火曜日

「刑吏の社会史」「当世書生気質」「子どもの貧困II」

1:34 Posted by どぼん , , , 4 comments

07/07 : 阿部謹也「刑吏の社会史」

◆共同体の傷を修復するための儀式としての「処刑」をおこなう「刑吏」が、長い時間をへて、共同体から排除(市民権を認めない)されるほどに忌避されるようになったのはなぜか。つまり、神の使途として現れた刑吏が、どのようにして忌避の対象となったのか。人びとにとって「処刑」や「刑吏」はなんだったのかということを探る一冊。

◆刑吏という職業が生まれ、人びとが抱く刑吏へのイメージが変化してゆく。そしてその背後には、都市の成立のなかでの刑吏が公務員的な位置づけになっていったことや、純粋な市民(けがれのない市民)たちからなる同職組合の結成、あるいは土着の神とキリスト教的平和観の衝突などがあった。「社会史」の面白さが詰まった一冊ではないかと思います。


07/09 : 坪内逍遥「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)」

書「ヤ須賀。君も今帰るのか。」
須「オオ宮賀か。君は何処(どこ)へ行つて来た。」
宮「僕かネ。僕はいつか話をした書籍(ブック)を買ひに丸屋までいつて、それから下谷の叔父(おじ)の所(とこ)へまはり、今帰るところだが、尚(まだ)門限は大丈夫かネエ。」
須「我輩(わがはい)の時計(ウオツチ)ではまだ十分(テンミニツ)位あるから、急(せ)いて行きよったら、大丈夫ぢゃらう。」 宮「それぢゃア、一所にゆかう。」
須「オイ君。一寸(ちょっと)そのブックを見せんか。幾何(なんぼ)したか。」
宮「おもったより廉(れん)だったヨ。」
須「実にこれは有用(ユウスフル)ぢゃ。君これから我輩にも折々引かしたまへ。歴史(ヒストリー)を読んだり、史論(ヒストリカル・エッセイ)を草する時には、これが頗る益をなすぞウ。」
宮「さうサ、一寸虚喝(ほら)の種となるヨ。」
◆恋愛あり、笑いとハプニングあり、人生論あり・・・登場人物には、まじめで繊細な人もいれば、どうしようもないくせに口だけ回る人もいる。そこには人間や社会の姿があるといってもよいと思う。◆そして、そうしたありのままの人間の立ち振る舞いを創作して描き出すというのが、著者が「小説神髄」であきらかにした立場です(たぶん)。それは、それまでの文芸作品を乗り越え、勧善懲悪というメッセージありきの物語を乗り越えるということ、著者が近代文学の祖だといわれるゆえんはここにあるのでしょう(たぶん)。

◆と、そんな小難しいことを考えずとも、書生言葉(書生が使う、方言やら外国語やらが混ざった謎の言語)が面白いので、どんどん引き込まれる。本書に登場する書生の一人が、友人が購入した本をみてひとこと。「これは実にユウスフル(有用)ぢゃ」。


07/18 : 阿部彩「子どもの貧困II――解決策を考える」

 しかし、日本とオーストラリアの違いは、オーストラリアでは貧困層に給付を行うことは「当然」と思われているのに対し、日本においては貧困層への給付も厳しい目にさらされることが多いことである。[...] すなわち、高所得層をも対象に含めた普遍的な現金給付制度にも批判的であるし、貧困層のみをターゲットにする選別的な現金給付制度にも好意的とはいえない (p. 115)
◆貧困の原因は、個人にあるのだろうか。それとも環境にあるのだろうか。実際にそれを断言することはできないが、子ども期の家庭環境は、大人になったときの生活環境に大きく影響する。親が貧困ならば、子どもも貧困に陥ることが多い。◆親の貧困から子どもの貧困へと連鎖する過程にはどのような道のり(経路)があるのだろうか。著者が前著「子どもの貧困」で明らかにしたのは、その問いの答えになる要因があまりにも多いことと、そうした要因からもたらされる子どもの貧困が、とりわけひとり親世帯で深刻だということだった。このことは、負の連鎖を断つためには(現金給付だけではなく)さまざまな支援が必要だということを物語っている。

◆本書は、その問題意識を受け継いで解決への道のりを探り、読者に呼びかける。こうした問題を放置することは、社会的なコストが増えることにもつながる。だとすれば、どの段階で(未然に防ぐ制度か、あとから救う制度か)、誰に対して(広く浅くか、狭く深くか)、なにを(現金か、モノ・サービスか)、どのような支援をすればよいのかを考えなければならない。しかし、それぞれの選択肢は一長一短だから、明確に「この方法がよい」と答えることは難しい。また、その支援の成果をどのように評価するかといった政策評価の問題もある。

◆社会政策や社会福祉に関心がある方が読むと刺激になると思います。また、それ以外の人にとっても、現金給付などの大きな問題に再考を迫る(つまり、賛否両論が巻き起こりそうな・・・)一冊ではないかと思います。


気になった図表

気になった図表から、本書でいわれていることと自分用メモを記録

図表2-4 (p. 61) : 自分が40歳になったとき「やりがいを感じる仕事をしている」と思う中学3年生の割合(親への質問)
→ 相対的貧困層に属する親は、自分の子が40歳になったときに「やりがいを感じる仕事をしている」と「思う」割合が低い(つづく図表2-5によれば、子ども自身も同じような傾向を示している。”がんばっても仕方がない”ということか)
→ (メモ) いっぽうで、親の場合は「やりがいを感じる仕事をして”いない”」と「思う」割合も低い

図表3-4 (p. 93) : アメリカにおける対貧困プログラムの収益性(推計)
→ 生涯所得が大幅に増加するプログラムでも、費用対効果でみると望ましいとは限らない
→ (メモ) 大学授業料の1000ドル削減の費用対効果(≒生涯所得の増加)が意外と高い

図表7-2 (p. 191) : 世帯所得別学校外学習費
→ 塾や習い事などの学校外学習費は、早くも小学校の時期から大きな格差がみられる
→ (メモ) 私立中学校だけがほぼ横ばいにみえるのが不思議

貧困の連鎖の経路 (本書第2章より, pp. 35-66)

子どもが貧困状態に陥ると、どのような悪影響があるのか? 親の貧困と子どもの貧困をつなぐ要因(経路、因果関係)の一部(この経路の解明・立証はきわめてむずかしい)
*) 図のなかの「?」は、本書で「検討が必要」などとして疑問視されているもの。
**) 該当箇所を参考にして適当にまとめただけなので、内容の正確さは保障できません (汗)

2014年7月18日金曜日

打ち込み日記 - ショパン ポロネーズ変イ長調 作品53 "英雄" (2)



英雄ポロネーズ (0) の試作版から、間違いを修正した英雄ポロネーズ (1) を公開し、今回バージョン2となります(全般的によくなったため、旧バージョンは削除)。

強すぎず、しかし、堂々と!

そしておまけに、英雄ポロネーズ (3)をつくってしまいました。何度直すんだろう。

2014年7月1日火曜日

Word : 個人的ショートカット

23:53 Posted by どぼん , 2 comments
いざ再登録するときに困らないように、φ(..)メモメモです。
Word2010のショートカットキーを登録します。

ショートカットキーの登録

[ ファイル ] タブ >  [ オプション ] > [ リボンのユーザー設定 ]

を開いたら、ずらっとアイコンの並んだ画面の下にあるショートカットキー [ ユーザー設定 ] をクリック

[ キーボードのユーザー設定 ] という画面が開く

ここであれこれショートカットキーを変更できるのです。

今のところぼくが変更したのは、

ClearAllFormatting : 選択した文字列の書式とスタイルをクリア [Ctrl + Space]
CommaAccent : 選択した文字列に読点の傍点を設定/解除 [Ctrl + ,]
DotAccent : 選択した文字列にピリオドの傍点を設定/解除 [Ctrl + .]
IndentChar : 文字幅分ずつインデント [Ctrl + M]
IndentFirstChar : 1行目のみ文字幅分ずつインデント [Ctrl + T]
InsertAnnotation : コメントを挿入 [Alt + C]
UnIndentChar : 文字幅分ずつインデントを解除 [Ctrl + Shift + M]
UnIndentFirstChar : 1行目のみ文字幅分ずつインデントを解除 [Ctrl + Shift + T]


とくにインデントの追加・解除と書式・スタイルの解除は大変よく使います。文章を書くだけの簡単な使い方しかしないので、このショートカットが大変役立つのです。より複雑で高度な使い方をする方には、他にも便利なコマンドがありそうです。

メモ――コーヒーは、愛のように甘い

22:29 Posted by どぼん , 4 comments
おいしいコーヒーは、
夜のように黒く、
地獄のように熱く、
恋のように甘い
――ミハイル・A・バクーニン (1714-1876)
さかのぼると、
悪魔のように黒く、
地獄のように熱く、
天使のように純粋で、
恋のように甘い
――タレーラン・ペリゴール (1754-1838)
さかのぼると、
夜のように黒く
心のように熱く
花のように純粋で
恋のように甘い
――ヴェネチアに伝わることわざ
さかのぼると、
地獄のように熱く
インクのように黒く
愛のように甘い
――アラブ諸国に伝わることわざ

*) 以上は、島村菜津「バール、コーヒー、イタリア人――グローバル化もなんのその」,光文社新書(296), 2007, pp. 169-173. より


1911年に開業した「カフェー・パウリスタ」のキャッチコピー「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱きコーヒー」は、ペリゴールの言葉ととても似ている。このキャッチコピーは広く知られたそうだけれど、源流をたどると、かなり古いのではないかと思う(だれかが調べてくれていそうだけど分からない)。

ちなみに著者いわく、イタリアのバールでは、砂糖を2杯も3杯も入れるおじさんをよく見かけるのだそう。そりゃ甘いわけです。



「茗荷谷の猫」 『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』 「活字のサーカス」

0:42 Posted by どぼん , , 5 comments

05/29 : 木内昇 「茗荷谷の猫」 

――緒方の言う通りにしてみようか。分枝は、そう思った。また、内側に立ってみるのだ。「物語」には別段、嘘偽りはないのだから。信じられないけれど、現実にそれは起こったのだ (本書より「茗荷谷の猫」, p. 93)。
◆短編集なのだけど、読み進めるたびに全編がわずかに繋がっていることに気がつく。そこに共通して描かれるのは、人生をなんとなく過ごしながらも、みずからの「生」を確立しようと向き合った人たちの物語だ。あるいは自分の生を確立するために明るかった妻を失い、あるいは伝説の黒焼きによって世を救おうとするがことごとく挫折する(失礼だけど、この挫折っぷりがまた面白い)。けれど、世を救おうというその願いは、思わぬかたちで小さく叶う。この世界はなんと波乱に満ちているのだろう。

◆こう考えると、この本はこういえるかもしれない。生の確立と挫折をとおして、さくらを「めっける」ような、当人の意図のとうてい届かない波乱に満ちた世界と戦いながら生きる人びとと、波乱のなかでの不思議なつながりが描かれている、と。

◆読みながらいろいろと考えさせられる、ぼくにとってとても深みのある一冊でした。



06/16 : 鳥羽博道 『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』

 それはひと言でいえば、企業哲学の違いに尽きる。儲かりそうだからやるのか、いっぱいのコーヒーを通じて安らぎと活力を提供したいと心から願ってやるのか。 [...] ただ単に形式だけをまねてやったものは感動、共感、共鳴を呼び起こすことなどできない (p. 113)。
◆タイトルどおり、ドトール創業者みずからドトールの歩みについて語っている一冊。ドトールにはしょっちゅうお世話になるので手に取ってみた(ただし愚痴を書くと、某なんとか馬場などのドトールは消しカスに遭遇することが多いので決して行かない。まあ、僕一人行かないところでなんてこともないに違いないが。また、同系列店のエクセルシオール・カフェも、なぜか忙しいノマドさんやうるさい客が多くて落ち着かない。ゆったり過ごせる店舗はないものか……と、余談が長くなってしまいました)。

◆人前で赤面してしまうほどだった著者は、持ち前の負けず嫌いな性格と、赤面してしまう自分にもできることをみつけて遂行する努力によってそれを克服してきた。あるいは、悪い印象と価格上昇によって、「喫茶店が人びとの手から離れてゆくこと」に対する危機感が著者の使命感となり、自分を克服する原動力になったのかもしれない。つねに顧客に目線をむける著者の姿勢は、昔から今までドトールの基礎になっているという。

◆著者の気迫を感じる一冊だった。よく年輩の方が「若者は気概が足りない」というけれど、この本を読めばそれも納得できる。なにせ、著者は「勝つか死ぬか」で生きてきたのだ。つねに競争に身をおいてきた著者の言葉は、競争を回避しようとする傾向があるといわれる若者にどのように伝わるのだろうか。



06/22 : 椎名誠 「活字のサーカス」 

 しかし、日常ふだんから人前で気軽に抱きあっているアメリカ人のそれふうのしぐさと違って、突如として白昼人前で抱きあう日本人というのは、なにか妙に意識的で重くて、ヘンに淫靡で猥褻で、見ていてひどく気分がわるい。まあ、早い話がおそろしくカッコ悪いのだ (本書より「ブキミな日本人」, p. 190)。
◆いろいろな本が登場するエッセイと言った方がいいかもしれない。この本をとおしてみえてくる著者の世界は、みずからを活字中毒者というように、活字と密接に結びついている。本を読んでそれを現実に結びつけているのではなく、現実にあることを描くうちに本が浮かんでくるのではないかと思う。この本のように、それを自然にできるのは、そうとうの読書家だと思う。これは知識量の差というよりも、本と対話することができるかどうかの差ではないか。


◆個人的に面白いと思ったのは「おせっかいニッポン」。たとえば日本では、ふつうの人がくぐるわけもない踏切にわざわざ「くぐるな」と書かざるを得ない(なぜなら、書かないと、クレームをつける”暇なおせっかい”がいるから)。いわれてみれば、わたしたちの身の回りに「分かりきった注意書き」の多いこと! このように、読書関連の本というよりは、ふつうにエッセイとして面白く読める。