本読み、音楽、アニメ、ゲームなど……じぶんのためのメモ的なものを、気まぐれに載せています。

2014年10月18日土曜日

打ち込み日記「青葉の歌」

0:37 Posted by どぼん , 4 comments
合唱曲「青葉の歌」をニコニコ動画に投稿してみました。

無料の素晴らしい音声合成ソフト「CeVIO Creative Studio FREE(さとうささら)」と、ニコニコ動画で、コメントでご紹介いただいたVocalShifterを使ってみました。いわゆるボーカロイドですね(正確には別種らしいのでややこしいですね^^;)。

楽曲について

この歌は女声2パート(ソプラノ、アルト)と男声の混声三部からなる合唱曲で、中学校でよく歌われる曲の一つです。

大人になろうとしている彼らに、世界中をつなぐ愛の心を自分の手でつかみ、輝いてほしいと訴えかけています。そこには、彼らの声が世界中の手を固く結ぶのだという、未来への希望が込められている気がします。

(素人なりに)少し考えた部分はいくつかありますが、とりわけ大切だと思うのは「きっと、きっと、やってくる(もっと、もっと、固く結ぶ) きらめけ青葉よ」の部分です。「きっと、きっと、やってくる」はいったん弱くしてから迫るように強くしてゆきます。「きらめ」の3つの音にはテヌート(音を保って)の記号がついていますが、ここで音を溜めすぎるとエネルギーが滞ってしまうのでほどほどにしたほうがよいのではないかと思っています。エネルギーが滞らないぎりぎりまで溜める感じで。「青葉よ」の部分は、アルト(女声の低い方)が「青葉よ、青葉よ」と2回呼びかけるので、2回目はもっと訴えかけるように、すこし強めてからのデクレシェンド。

しかし、冒頭のアルトの「ラー(F-Ges)」、なんだこりゃ(^^;)

2014年10月11日土曜日

「ダメ出しの力」

21:19 Posted by どぼん , , 4 comments

10/09 : 繁桝江里「ダメ出しの力」

 ダメ出しをする側もされる側も、できるだけネガティブな感情を排除したいものです。「ダメ出し」マイナス「ネガティブ感情」イコール「イイ効果」という式が成立することを目指してください。そのためには、とにかく時間を置くことが大切です (p. 211)
◆「ダメ出し」の力を、コミュニケーションというさらに広い射程のなかで見直し、それをうまく活用するためにはどうすればよいのかを考える糸口を与えてくれる、いわば”応用するための本”です。ダメ出しは悪いことなのでしょうか。そうではないとしたら、ダメ出しは相手にどのような影響を与えるのでしょうか。そして、どのようにダメ出しをすればよいのでしょうか。社会心理学など学術的な研究に基づく興味深い知見とともに、「ダメ出し」というコミュニケーションについて考えてゆくこの本には、ハウツー本とは明らかに違う面白さがあります。

定義:ニュートラルな「ダメ出し」

本書での「ダメ出し」の定義……相手に否定的な評価を返す(=悪いところを指摘する)こと。ネガティブ・フィードバック (p. 6)。反対に、良いところを指摘するのは「イイ出し」としている
→ この本書でいう「ダメ出し」は、「叱る」などとは違って、感情的ではないニュートラルな指摘というニュアンス

上司から部下に対する懲罰と報酬の関係 (p. 40)

即応的報酬(その場の状況に応じて褒めるなどの報酬) → よい影響
非即応的報酬(たとえば、仕事が良くても悪くても褒める) → 悪い影響(&よい影響弱)
即応的懲罰(その場の状況に応じてダメ出し) → よい影響・悪い影響
→非即応的報酬は、役割の不明確化や、仕事に対する満足度の低下などを招きうる。即応的懲罰は、個人レベルとして悪影響ではあるが、組織レベルとしてパフォーマンスを向上させる効果がみられる。非即応的懲罰は最悪。
◆ダメ出しの部下への影響は、部下の自由度や責任感で異なる。「自由度:高、責任:大」では、ダメ出しと成長感のあいだに関連がみられるが、「自由度:低、責任:大」の場合はみられない。「自由度:低、責任:小」のルーティン型ワークでは、さらにイイ出し(プラス評価)の効果もみられない。

適当メモ

◆失敗学習動機が弱い場合など、イイ出し(褒める、改善策の提示)によってかえってネガティブ感情を強めてしまうことがある(”余計なお世話だ!”という反発がありうる)
◆夫婦関係ではお互いにダメ出しをする・されると思っている。

→ この本の「ダメ出し」はモラルなどに対するニュートラルな指摘だからかもしれない。これが家事の分担や日常生活の話になったら、話は別かもしれない。

◆「自分はダメ出しをしない・相手もしないだろうという予想が正解」という組み合わせは、相手との関係で自分が成長できている(自己成長化関係にある)という評価が低い

◆夫婦間では「自分:相手は嫌な思いをしないだろう(予想)、相手:嫌な思いをする」という食い違いが比較的多いのに対し、よく話す人(他人)の場合は、「自分:相手は嫌な思いをしないだろう、相手:嫌な思いをしない」という正解が多い (p. 190, 図4-5)

→ 他人だと言いかたに配慮をするから?

2014年10月5日日曜日

「味」

15:02 Posted by どぼん , 4 comments

10/05 : 秋山徳蔵「味」

 ところが、ほんとうに良人を愛している女房は、たとえ料理は下手でも、どうしたらおいしく食べて頂こうか、これでは食べにくいからこうしておこう、汁が浸み出して手でも汚してはいけないから、紙を一枚入れておこう――そういった深い心遣いをしながら弁当をつくる。これが良人の心に響かぬはずがない。このように、料理をつくる心は、世の中のすべてに通ずると、私は信じている。 (pp. 196-197)
◆宮内庁(宮内省)の総料理長として、50年以上にわたって天皇に料理を作り続けた筆者 (1888-1974)の随筆。少年時代のいたずら、料理修行、仕事に対する考え方、食に対するこだわり、宮中のしきたり、皇族や諸国の王族に関する逸話、友人や妻との思い出、どれも興味深い逸話ばかりです。職人としての矜持を感じさせながら嫌味を全く帯びないのは、そこに筆者という人間がみえてくるからなのだと思います。それは筆者が終始語っている、”料理などに大切なのは、まず人間であり心なのだ”という考えをそのまま文章で再現しているような、不思議な魅力があります。読みものとしてはもちろん、食が好きな人や皇族の方々の人となりに関心のある人、色々な人におすすめしたい一冊です。

◆まず綺麗な装丁が気に入りました。裏を返すと筆者の素敵な笑顔。モノをもたない僕は、「本を買いたい」と思うことがほとんどないのですが、この本はなぜかとても気に入りました。以下、気になった逸話やらのメモ。

七分づきに丸麦

昭和2, 3年に静岡の茶園へ行幸された際の話だそうです。陛下はそれに付き従った高官たちと陪食をおこないました。高官たちの食事は、折三段重の立派なものでしたが、陛下の食事は黒い握り飯のみ。それをみた高官が、「黒い握り飯は上等のもので、白いのが普通の握り飯なのだろう」とおもって黒い握り飯を食べてみると、じつにまずい。それをよくみると、七分づき程度の米に丸麦が半分ほど入れてあったのです。それが陛下の常食だと知り唖然としている一同に、陛下はこうおっしゃったそうです。「従医から聞いたのであるが、米の七分づきに麦を混ぜた飯は、衛生上たいへんよろしいそうである。食べつけてみると、味も白米飯よりもよろしいので、私はこれを常食にしている。しかし、私の好物だからといって、諸子に強制する気持はない。それで、半分だけ白米飯を加えて、これは参考までに添えたものである (p. 85)」。

筆者曰く「そのへんにいるつまらぬ役人どもや、政治家のほうが、ずっと非民主的である (p. 83)」ということであり、それを説話のように物語っている逸話だと思います。

スープ鍋をぶちまける

西洋修行中、筆者はシェフに「スープ鍋をストーブの上に持ち上げろ」といわれたそうです。その鍋は一人では到底持ち上げられないので、筆者は当然「できない」と答える。シェフと押し問答が続く。仕方なく筆者は「どうしても持ち上げろというんですか」と聞くと、シェフも意地になって「ウイ」という。厨房の中で、店主を含めた全員がこちらを見ている。そこで筆者は、鍋の把手に手をかけて、勢いよくスープをぶちまけた。そして、空になった鍋をストーブの上へドカンと乗せた。(pp. 42-46)

またあるときは、果物を切って出すという習慣が宮中になかったため、「果物を切って出すものではない」と文句を言われたことがあったそうです。それにグッときた筆者は「そうですか。じゃア、メロンも、西瓜も、丸ごと出しますから、そうお考えになっといてください」と返したそうです。(p. 100)

いずれも筆者が若かったころ(=血の気が多かったころ)の話だと思いますが、口でやり返すこの反撃の仕方が面白いですね。



宮中言葉

現代ことば御所ことば
=うちまき
=およね
御供米=おくま
飯(お上の御料)=ごぜん
飯(女官の料)=おばん
飯(自分の飯のこと)=はん
乾飯=ほもじ
赤飯=こわご、こわくご
かやく御飯にだしのつゆをかけたもの=ふきよせ
二度たきの飯=おふたたき
=おゆに
焦飯の粥=おゆのした
そばの粥=うすずみ
=おかちん
餅に餡をまぶしたもの=おべたべた
お汁粉=おすすり
菱葩(ひしはなびら)=御焼がちん
円形の餅片に少しの砂糖なしの小豆餡を盛ったもの=小戴(こいただき)
元旦に召しあがるお雑煮の一種=烹雑(ぼうぞう)
朝召し上がる餅=おあさのもの
菱餅=おひし、ひしがちん
かき餅=おかき、かきがちん
豆入りあられ=いりいり
そば=そもじ
冷麦=ひやぞろ
そうめん=ぞろ、ぞろぞろ
=おすもじ
萩餅=やわやわ
まんじゅう=おまん
せんべい=おせん
団子=おいしいし
ちまき=まき
白玉=うきうき
麦こがし=ちりちり、ちりのこ
さつまいも=きいも
小芋=ややいも
=おひや
=おさゆ
=ささ、おっこん、くこん
白酒=ささ、ねりおっこん、ねりくこん
雉酒=おきじ
甘酒=あまおっこん
=しろもの
味噌=むし、おむし
醤油=おしたじ
すまし汁=おつゆ
味噌汁=おむしのおつゆ、おみおつけ
漬物=おこうこ
菜の漬物=おくもじ
たくあん=こうもふり
すぐき=すいくもじ
副食物=おまわり
焼きものの総称=ひどりのもの
和物=おあえのもの
磨糠(すりぬか)=わりふね
納豆=いと
こんにゃく=にゃく
豆腐=かべしろもの、かべ、おかべ
焼豆腐=やきおかべ
揚豆腐=あげおかべ
小豆=あか
=あおもの
乾菜=のきしのぶ
ちさ=おはびろ
大根=からもの
牛蒡=ごん
南瓜=おかぼ
=ねもじ、ねぶか、ひともじ
にら=ふたもじ
にんにく=にもじ
たけのこ=たけ
たけのこ飯=たけのおばん
松茸=まつ
松茸飯=まつのおばん
つくし=つく
わらび=わら
かりん=あんら
=おまな
=おひら
甘鯛=ぐじ
鰹節=おかか
いわし=おむら、おほそ
=あかおまな
えび=えもじ
たら=ゆき
はも=ながおまな
かます=くちほそ
かざめ=かざ
えそ=しらなみ
たこ=たもじ
さば=さもじ
にしん=ゆかり
かずのこ=かずかず
うなぎ=う
ふな=やまぶき
こい=こもじ
いか=いもじ
するめ=するする
このわた=こうばい
いりこ=りょうりょう
ごまめ=たづくり
ちりめんざこ=ややとと、じゃも
長熨斗=おなが
かまぼこ=おいた
なます=おなま、おはま
=くろおとり
=しろおとり
深い茶碗=しゅんかん
深い皿=おふかど
=おみはし
陛下のお品物(食品も含む)=大清(おおぎよ)
臣下の料=中清
いかき笊=せきもり
食物を細かく刻むこと=はやす
食物を切ること=なおす
漬物を切ること=わたす
物を焼くこと=ひどる
煮ること=したためる
洗うこと=すます
器物を洗うこと=おすすぎ
おから=うのはな

2014年10月2日木曜日

「ブラウン神父の無心」

18:25 Posted by どぼん , 4 comments

09/30 : G. K. チェスタトン「ブラウン神父の無心」

ジョン・ターンブル・アンガスは店のお嬢さんのところへ戻ったが、このあつかましい青年は、彼女と何とか楽しくやって行くだろう。しかし、ブラウン神父は星空の下で、雪の降り積もった丘を殺人犯と一緒に何時間も歩きまわった。二人が何を話し合ったかは、知るよしもない (「透明人間」, p. 161)
ブラウン神父はこの間に家に入り、死んだ男の妻に報せを伝えに行った。ふたたび外に出てきた時、神父は少し蒼ざめて、悲愴な顔をしていた。しかし、夫人との間にどんなやりとりがあったのかは、すべてが明らかになったあとも、明かされることはなかった (「間違った形」, p. 210)
人殺しにそういう光明を見つけるのが、私の仕事でしてね。それでは村へ下りて行って、風のように自由にご自分の道を進みなさい。わたしから言うことは、何もありません (「神の鉄槌」, p. 279)

◆この本は、創元推理文庫から1982年に出版された「ブラウン神父の童心http://booklog.jp/item/1/4488110010)」の新訳です。その出で立ちは無垢な子どものように、誰にでもすぐに騙されてしまいそうなブラウン神父。ところが神父は、鋭い観察眼と推理によって次々と難事件を解決してゆきます。なぜ無垢な神父が、世界中に名をとどろかせる大犯罪者をも出し抜く悪知恵をもっているのか。ブラウン神父シリーズ第一作にして、面白い傑作ぞろいだと思います。 

◆ぼくがブラウン神父シリーズの第一作目として注目したい点は2つありますが、第一に、宗教と理性が対立しないという著者(チェスタトン)の考え方が示されていることです。たとえば、この本の「青い十字架」で、大犯罪者フランボウは”人間の理性の上に素晴らしい宇宙、本当の理性の世界があるのだ”というような考え方を示していますが、それに対してブラウン神父は「教会のみが理性を真に至高なものにする」と反論します (pp. 31-32)。最初に読んだときは違和感を覚えたのですが、そこにこそブラウン神父の「無心 (innocence)」があり、シリーズをつうじて卓越した推理を見せる神父の秘密があるのだと思います。 

◆第二に、神父がおこなっているのは罪を裁くことではないということです。この大切なことに関する記述をいくつも見落としていました! それを上で引用してみました。とくに一番下の「神の鉄槌」での一言は、殺人者に残っている良心(自ら犯した罪の重圧に苦しみ続ける常人ではなく、罪に苦しむことのない狂人に濡れ衣をかぶせたこと)に訴えかける神父の考え方が良く分かる一文です。 ◆神父は罪の裁きを法の手に委ねるわけではなく、罪を犯した人自身に委ねます。事件が解決して終わりのように見えて、描かれていない部分にこそ神父の本質があるのではないでしょうか。それは人間の心に寄り添う神父の態度なのだと思いました。