本読み、音楽、アニメ、ゲームなど……じぶんのためのメモ的なものを、気まぐれに載せています。

2015年3月14日土曜日

「パイの歴史物語」

0:04 Posted by どぼん , 2 comments

03/12 : ジャネット・クラークソン「パイの歴史物語」

 クリスマスのミンスパイや感謝祭のパンプキン・パイは、栄養に富むおいしい食べものから強力なシンボルへと進化して生きのびた。しかしごくふつうの、毎日過程で手作りされていたパイは、時代の変化の波に飲まれ、淘汰されつつある。現代のように、人びとが時間に追われ、高カロリー食品が敬遠される世界で、パイに未来はあるのだろうか? (p. 161)
 パイとはなんでしょうか。だれもが「そんなの分かるよ」と言ってしまうような問いも、1927年のタイムズで白熱をみせたパイとタルトの違いをめぐる論争によって読者はパイの迷宮に引きずり込まれます。パイといえば、あの網目状の蓋が思い出されます。しかし蓋がない「プディング・パイ」なんて言うものもあったりして、いよいよパイの本質は分からなくなります。

 そこで歴史的にパイをみてみると、容器として使われていたという驚くべきことが分かります。それはグラタン皿のような耐熱容器であり、お弁当箱のような収納容器であり、いまでいう真空パックのような密閉容器だったのです。ウィリアム・サーモン (1695) の『家庭の辞書、あるいは家政の友 (Family-Dictionary, or, Household Companion)』いわく、イノシシのパイは「じめじめした場所に置かなければ、まる1年もつ」とか。パイはその優れた保存性のために、遠く離れた地で学ぶ息子や戦場にいる夫に送られるようになります。具体例として、1638年、ヘリフォードからオクスフォード大学の息子にパイを送る母の話が紹介されています。GoogleMapで測ってみたところ、105.62Km. クール便もないのに、常温のまま数日がかりで息子にパイを送るというのはかなり不安ですが、きちんと密閉されていたようです。

 当初は食べものというよりは容器として主に用いられていたパイが、やがておなじみの美味しい生地が作られるようになってから食べものとなり、密閉され保存性に優れたそれはイギリスの各地を飛び回り、イギリスでは携帯しながら食事をとれる合理性が好まれ800人の軍隊が行軍中の7分半のあいだにパイで食事を済ませていたとか。他方では豪華な装飾を伴ったり、中に意外性のあるもの(生きた小鳥・カエルなど)を仕込んだりと、イベントに定番の食べものとなってゆきます。ハトの足が出た「ピジョンパイ」のイラストがありますが、こんなので食欲が出たのでしょうか……。

 さらにパイは、17世紀から18世紀にかけてアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどにも広まってゆきます。しかしアメリカでパイといえば甘いものであり、オーストラリアではミートパイ、ニュージーランドではマトンパイ、各地でさまざまな意味づけがなされていったようです。

 小説、たとえばディケンズなどは、パイを「目くらまし」として多く描いたようです。家庭でも在り合わせのものでつくれる料理だったそれは、言い換えれば「ごちゃ混ぜでなにが入っているか分かったものではない」ということです。「子牛の肉のパイはいいもんだ。それを作った婦人が知り合いで、そいつが子猫の肉ではないとわかっているなら」 あるいは復讐法として、シェイクスピアは敵の子供の肉でつくったパイを、敵に悟らせずに食べさせるという場面を描いていたとか。「何が入っているか分からない」というのは、楽しみでもあり、恐ろしいことでもあったのだと思います。

 パイのわくわく感を感じながらパイを食べてみたい、と思わせてくれる本でした。

2015年3月7日土曜日

打ち込み日記 - ショパン 「12の練習曲第1番」 変イ長調(エオリアンハープ) 作品25-1

ショパンの「12の練習曲 (Op. 25)」から「エオリアンハープ」の通称で知られる変イ長調の第1番を打ち込みました。

和音のなかから高音部の旋律が浮かび上がります。優しい旋律を活かすためには、それを包むハーモニーはそれ以上に優しくなければいけません。その点ですべての指を思い通りに動かすことが求められる、難しい曲なのではないかと思っています。

ぼくのとくに好きな部分は、(0:52)の不安げな風が(0:56)で一転して晴れ間に変わるような部分、そこから想いがあふれるような(1:01)の部分、旋律が消え入ってからアルペジオで昇華される終盤も好きです。

ただ、例によってちょっと音量が小さいようです(^^;)

2015年3月3日火曜日

「鴎外の子供たち」「鴎外の三男坊」「森家の人びと」

23:37 Posted by どぼん , , , 2 comments

「鴎外の子供たち」

森鴎外の三男、森類さんに関する本を何冊か読んでみました。

一冊目は森類さんご自身による『鴎外の子供たち』。
まっ黒に焼いた木柵が広大な林を二分して、中央にある一間はばの道路が林の頂に達している。足もとの砂が急に深くなった。「キャー」と叫んで杏奴と二人その道を駆けのぼると、夷隅川(いすみがわ)をはさんだ中州のかなたに、波の音からの想像とはちがう静かな白い波が広い広い砂浜に寄せていた (p. 64)
この本は、父親としての森鴎外像が描かれている点では姉の茉莉さんや杏奴さんと共通していながらも、父が偉大だったことによる重圧を軽やかに描き出してしまう筆致がとても魅力的です。少し他人事のようなその視線は姉たちの「パッパ(鴎外)」への過剰ともいえる愛情にも向けられていて、やはり茉莉さんや杏奴さんによるパッパの回想とはずいぶん違います。母に叱られて「ウウウー」と泣いたときもかばってくれた父、書斎に駆け込めば膝の上に乗せてくれた父、夜中に手を握ってトイレに連れて行ってくれた父、とにかく父への愛を描きながらも、父が激怒した姿や人混みに負けてしまうほど弱ってしまった姿も見つめていて、描き出してしまう。
押し出されて三四間走って振りむくと、強い強いはずの父が、人びとに押しつぶされて、改札の柵に下腹をあて、ステッキを高くかかげて、苦痛に曲った顔をしていた。僕は神さまが災難を受けているような悲痛な心持になって、腸をしぼるように、大声で泣いた (p. 62)
姉たちにとっては父や自分自身の描かれたくない姿も描かれてしまうということで、この本の刊行もかなり大変な経緯があったようです。

「鴎外の三男坊」

二冊目は森類さんの生涯に迫った『鴎外の三男坊』。『鴎外の子供たち』に重なる時代を茉莉さんなどの視点からも描きつつ、『子供たち』よりも後の晩年の姿まで書いています。『子供たち』では飄々としてしているように感じられた部分も、この本を読むと違った印象を抱かざるを得ません。 たとえば、杏奴さんとの海外渡航中の記録は『子供たち』にはあまりないのですが、この本では類さんの喜びや興奮(そして細かな筆致!)がどれほどであったかがよく分かります。母志げが「見たことがないよ」と言った顔、歓喜に満ち溢れた影の無い顔。類さんへの重圧がどれほどのものだったかということが、他人(茉莉さん)の視点からより鮮明に感じられます。
さらに『子供たち』に比べると、出版社の社員として、本屋の店主として、また小説家として自作原稿の指導を仰ぐなど、積極的に奔走して力強く現実と対峙しようとする姿が描き出されていると思います。この本の年表によると、『子供たち』は1956(昭和31)年45歳のときに書かれていて、これは千朶書房(せんだ)を閉店する一年前です。ですが、「市街八分(まちはちぶ)」や「裁量権」のような小説(例に挙げたのはどちらも社会的な題材の作品ですが)が掲載されるのはそのあとですし、もっとも充実していたのもこの後だったのではないかと思っています(人生に”もっとも”充実していた時期というのがあるとすれば、ですが)。人様の手紙を載せるのもなんですが、自分の娘についてこんなに美しい表現って思いつくでしょうか。
(略)東武電車の駅まで佐代を送つて、地下鉄に乗りました。佐代は勤め帰りの群集で真つ黒になつた、真つ直ぐなエスカレーターに乗つて、元気に笑ひながら手を振つて、登つて行きました。あんな綺麗な、無邪気なゑがほをする大人ってゐるでせうか。お父さんには、黄色い無地の外套を着た神様が笑つてゐるやうに見えました。 (p. 183)
ぼくにとっては、茉莉さんの本への読書案内の役割も果たしてくれた本です。

「森家の人びと」

三冊目はご自身による作品集『森家の人びと』。上の『鴎外の三男坊』でも引用されているエッセイと小説がすべて採録されています(コラム、新聞記事は除く)。作品全体を”乱暴に”区分すると、第一に、誰かとの思い出を描いたもの。幼少からの親や兄・姉との思い出を描いたものは「不肖の子」「父の笑顔」「森家の兄弟」「鴎外の子供たち」「誠之とその周辺」などに加え、「観潮楼跡」「観潮楼の離れ」「観潮楼」「賓和閣」「硝子の水槽の中の茉莉」などがあります。さらに絵の師でもあり恩人でもあった斎藤茂吉や佐藤春夫との思い出を回想する「防空壕」「万喧嘩引受処」「亜藤夫人」「狐の家来」。
第二に、結婚してからの家庭生活に基づいたものがあります。「散歩」「新春快走」「和光」「鼠心(そしん)」「驟雨」「市街八分(まちはちぶ)」「百舌鳥」「酔眼」「細き川の流れ」など。あと、ちょっと違う気がしますが「シロヤシオ」。
第三に、社会的な題材のもの。正確に言えば、日常生活のなかでも問題意識が見られるもの。「はんてんぼく(立ち退きってなんだかなぁ、という個人的問題意識から)」「ビート・ルヰの困惑」「裁量権」など。

読んでみてぼくが好きだったのは、「心だけは若いんだ」という意気込みを感じさせる「新春快走」、思春期の息子とのちょっとしたいさかいを描いた「和光」、森鴎外を題材にした番組をつくろうというテレビ局の非道を描いた「ビート・ルヰの困惑」、最晩年の茉莉さんと類さんの仲を描いた「硝子の水槽の中の茉莉」、以下「鼠心」「驟雨」「市街八分」「細き川の流れ」といろいろあるのですが、鴎外の三男という立場が与える重圧をより重苦しく描いた「或る男」や、晩年の姉に対して良悪を超えた実直なまなざしで優しく描き出す「硝子の水槽の中の茉莉」、長年連れ添った妻の病気を案じながら妻のいない自分という存在の非力さを描いた「細き川の流れ」が印象に残りました。
やはり直接これらの物語を読んでみると、『鴎外の三男坊』で受けた能動的な印象は少し過剰に受け取りすぎている気がしました。やはりどこかに無気力さ、そしてそれに対する自責の念、不安感がとても色濃く出ているように思えます。