本読み、音楽、アニメ、ゲームなど……じぶんのためのメモ的なものを、気まぐれに載せています。

2015年5月19日火曜日

「検定絶対不合格教科書 古文」

23:55 Posted by どぼん , No comments

05/12 : 田中貴子「検定絶対不合格教科書 古文」

 指導要領に端を発する既存の教科書の在り方に異議を唱えるべく書かれたのが、この検定「不合格」教科書です。
 作品そのものの面白さを歪める検定に疑義を呈し、(創られた)伝統や自国の文化として提示される読み方ではなく、自分の生活や文化を踏まえた自分なりの読み方が大切なのであり、またそれが古文の魅力なのだといいます。まず著者は、教科書にある「お説教臭さ」に疑問を投げかけます。
 なるべくいろいろな場や人々に、古典文学にはまだあなた方の知らないテクストがたくさんあって、それは決して教科書的な枠にはまった「お勉強」として読まなくてもよいのですよ、と声を大にして言ってきたのに、ほとんどの人が初めて古典文学に出会う場となる教科書がものすごく陳腐なのである。 (p. 285)
 その陳腐さは、教科書という公的テクストがもつ権力から生じるといいます。古文に関わらず、(本書の言い回しを借りると)「作者のいいたいことを発見せよ」という至上命令と、教育的配慮のなされた「お説教臭い答え」に対して強い抵抗感を覚える人は少なくないでしょう。まして古文の場合には、入試科目として文法や語彙という壁があります。「お説教臭い答え」、絶えず求められる文法や語彙の知識。「古文嫌い」を生み出す要因は、作品を読み込む以前の段階にあるといえるのではないでしょうか。

 著者は「お説教臭い答え」の原因として、大元の学習指導要領を時系列順にたどってゆきます(3部4章)。採録する作品について「教師の好みに片寄って、狭い学習にならないように (昭和31年)」とされていたものが、やがて「古典としての価値」と「親しみやすさ(昭和45年)」を重視するものへと変わってゆきます。そして国際化のすう勢のなかで、「国語を尊重」や「日本人としての自覚(平成元年)」といった民族的な考え方が現れます。(本書の言い回しを借りると)公的テクストは、時代の文化的・政治的な状況で変化する、というわけです。この点、ぼくは「古典としての価値」という言葉が気になりました。それはむしろ、作品自体の価値(絶対的な価値などというものがあるとすれば、ですが)というよりも、道徳を教えるために有名な作品が作り替えられているような印象を受けるのです。著者もまた「教育臭」という言葉でそれを表しています。

 こうした「お説教」の実例が取り上げられているのが第一部です。一例を挙げると、『宇治拾遺物語(児のそら寝)』は「僧と子どもとの素朴な話 (p. 26)」であり、『伊勢物語(芥川)』は純潔な「悲恋物語」になる。兼好法師は『徒然草』まじめな教訓を記したものであり、『平家物語』の木曾義仲は「愛」と「主従愛」の物語に”なる”。どれも普遍的なメッセージをもった道徳的な物語になっているのです。ところがこうした物語の背後には、性愛(同性愛や密通など)や恥の観念、ユーモアというような、「お説教臭い答え」とはまったく別の文脈が存在することも珍しくありません。

 第一部で別の文脈を提示された驚きは、第二部でさらに大きなものになります。一例を挙げると、仰臥状態にある失意や激情をユーモアたっぷりに描いた正岡子規の『仰臥漫録』、戦国時代末期に城内で戦う女性の話を口語体で記した『おあむ物語』。そしてぼくが一番驚いたのが、女性の初体験を生々しく描いた『とはずがたり(巻一)』と、さりげなく鋭く描いた『源氏物語(葵巻)』でした。『とはずがたり』では「薄き衣はいたく綻びてけるにや」とまで書いているのです。そこには人間の生き方や考え方、善悪両面をもち、葛藤する存在が描かれています。それは、単に歴史や文化(風俗)という点から関心を持つのとは違った読み方、ほんとうの意味で「作者のいいたいことを発見」するという文学の楽しみがあるのではないでしょうか。

 疑問点としては、作品と生徒がじかにぶつかるような読み方を教育の現場で適用するのはかなり難しいのではないか、などということがいくつかあるのですが、既存の文脈から解放してくれるという点でおもしろく読むことができました。

2015年5月16日土曜日

「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 続」 第6話

18:34 Posted by どぼん , No comments
久しぶりにアニメをみました。
「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 続」の玉縄さんがとても面白かったので、勝手な意訳と私感を含めながら記録しておきます。原作未読、理解力に乏しい人間の勝手な意訳と私感なのであしからず。

議題:イベントのコンセプトと内容面でのアイデア出し

(6話での)会議1回目
若いマインド〔精神〕でのイノベーション〔革新〕を起こしてゆくべきだと思う」
→ 高校生として求められている若さを武器に、これまでとは異なるまったく新しいイベントにしようという意志表明。
「そうなると当然、おれたちとコミュニティとのウィンウィン〔双方にとって望ましい〕な関係を前提条件として考えなきゃいけないよね」
→ 「そうなると」と言っていますが、すでに話がかみ合っていない印象。
「戦略的思考で、コストパフォーマンス〔費用対効果〕を考える必要があるね」
→ コミュニティといかに連携するかという話になるのかと思いきや、費用面での懸念を示しています。
玉縄「みんな、もっと大切なことがあるんじゃないか」
→ よくぞ言ってくださった。
玉縄「ロジカルシンキング〔論理的思考〕で論理的〔ロジカル〕に考えるべきだよ」
お客様目線カスタマーサイド〔お客様目線〕に立つっていうかさ、」
→ と思ったら、玉縄さんがいきなり崩壊する。長丁場のブレストで疲れていたのかもしれない。
「なら、アウトソーシング〔外部委託〕も視野に入れて」
→ 「なら」とあるから前文をうけている。論理的に顧客目線で考えてみると、外部委託も視野に入れないといけないらしい。
「いまのメソッド〔方法〕だとスキーム〔計画〕的に厳しいけど、どうする?」
→ プランではなくスキーム(枠組み)。ぼくは勝手につっこみました。「そもそもきみらにスキームなんてあるのか」、と。
「いったんリスケ〔スケジュールを再調整、後方へずらす〕する可能性もある。もっとバッファ〔余裕〕をとってもいいんじゃないかな」
→ 前倒しというよりも、後方へずらすイメージで使われる気がします。使ったことありませんが。何も決まっていないのに、どうやってスケジュールを立て直すのだろう。
「そうだね、全体をよくみたい」
→ コンセプトも決まっていないのに、どの全体を見るつもりなのか。

いわゆる「意識高い系」への揶揄と考えることもできるのですが、他人の意見を否定しない、対立を生まないという姿勢を揶揄しているようにも思えます。ブレインストーミングのためとはいえ、それぞれがかみ合わない話をしているから対立が生じることもない。たびたび集団内で敵としての役割を引き受けてきた(?)主人公とはとても相容れない考え方を、このようにやや滑稽に描いたのではないかと思いました。

2015年5月2日土曜日

Musescoreでよくつかう機能

10:52 Posted by どぼん , , , 7 comments

Musescoreでよくつかう機能

Musescoreでよくつかうのに忘れてしまいがちな機能をメモしています。自分用のメモなのでかなりざっくりしています……(もっとよい方法をご存じで「教えてやってもよい」という奇特な方がいらっしゃったら、コメントなどでご教示頂けたら幸いです。

「オッシア(あるパートの同じ小節に対する別の譜面)の挿入――イメージキャプチャを使用する方法」(Ver.2.0.2)


 オッシアが一か所程度であれば、この方法が使えるかもしれません。

  1. 別の小節を用意し、オッシアとなる譜面を入力する
  2. イメージキャプチャを起動し、1で入力した譜面を範囲選択する(選択状態のまま)
  3. 2で指定した範囲をShift+Ctrlを押しながら、オッシアを入力したい元の譜面にドラッグ・アンド・ドロップする(下画像は拙作から恥ずかしい譜例)
    20150911a

「和音からなる前打音を打ち込む」(Ver.2.0)

1.通常どおり、一つの音を前打音として入力する
2.Shift+[音名]でもう一つの音を配置し、Ctrl+[↑/↓]でオクターブを調節
3.臨時記号がつく場合はさらに[↑/↓]で調節


「トリルに臨時記号をつける」(Ver.2.0)

1.通常どおり、音符に対してトリルをつける(トリルの入力は、音符を選択し、パレットの”アーティキュレーションと装飾”や”線”のところからトリルを選んでダブルクリック)
2.パレットから必要な臨時記号をダブルクリックすると、上部に臨時記号が加わる
(上部と下部につける方法、また、ターンの場合はどうしたらよいのでしょうか!)

2015年5月1日金曜日

「話がこじれたときの会話術」

14:54 Posted by どぼん , No comments

04/21 : J. ウィンズレイド, G. モンク「話がこじれたときの会話術」

 ナラティヴの実践原理として、対立の物語には常に複数の物語があるという想定を持って取り組むとよい。当然、双方の(または2グループ以上の)当事者たちは常に、起こったことについて異なる物語を持っている。彼らの説明には、異なる事実が抽出され、異なる箇所で強調されてアレンジされ、順序も変えられた出来事が語られる (p. 30)
 人は時として、ともに争いを望んでいないにもかかわらず対立関係に陥ってしまうことがあります。そこには、彼らがある問題についてそれぞれ思い描いている対立の「物語(ナラティヴ)」があり、その背後にはその物語を構築する文化的な圧力があります。 ナラティヴ・メディエーションは、対立する彼らの調停者として、対立の背後にある文化的な圧力に注目し、対立の物語とはべつの物語を構築します。それによって、相手への理解や共感、敬意を再確認し、対立の原因となっている問題を解決するための足掛かりを用意するのです。

ナラティヴ・メディエーション

 ある問題をめぐって人びとが対立するとき、当事者たちは原因という事実を探し、その対立を認識しようとします。しかしナラティヴ・メディエーションでは違う見方をします。人びとは、さまざまな事実を取り出し、強調し、一貫した物語をつくることで、物事を説明しているとみるのです。たとえば、尊大な専門家が正直者の素人を騙すという陳腐なプロット、Aは尊大な専門家で、Bは正直者の被害者などというような人物描写――こうした枠組みに当てはめて物語をつくることで、一貫した物語として現実を理解しようとします。 そして、この「物語」をつくりだす要因として、文化的な要因に注目しています。

 たとえば本書の1章では、医療ミスをめぐって対立する被害者と医療従事者の例が挙げられています。病院はしばしば安全性や信頼性の高さを強調し、みずから文化的な物語をつくり出します。その結果、人びとが認識している以上に(日常的に)医療ミスが起こっているという実態を覆い隠してしまいます。この文化的な圧力が、被害者や家族のみならず医療従事者に影響を与え、双方に苦悩を与えています。そこで調停者は、彼らがもつ別々の物語から、相互理解に至るための資源を引きだそうとします。

 そのための技法が、「二重傾聴」「対立の影響の外在化とマッピング」「協調の物語の構築」「相互理解の生成」です。「二重傾聴」によって当事者が物語に従って焦点を当てている文脈とは異なる文脈に傾聴し、対立関係(当事者から見た相手)と問題を切り離す「外在化」、外在化された”問題の原因”ではなく、”問題が当事者にもたらす影響”を共有する「マッピング」、対立の物語とは異なる「協調の物語の構築」といった手法によって、調停者は当事者間の「相互理解の生成」を実現しようとします。つまり、ナラティヴ・メディエーションとは、調停者として問題を客観的にとらえて判断を下すのではなく、むしろ当事者の「現実」を作り上げている要素を材料にして、新しい「現実」を作り上げる試みだといえるのかもしれません。
話がこじれたときの会話術: ナラティヴ・メディエーションのふだん使い